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鉄道は米国経済をどれほど豊かにしたのか――市場アクセスから読み解く19世紀の経済成長

19世紀の米国経済を語るうえで、鉄道の発展は欠かせない。広大な国土を結ぶ鉄道網は、農産物や工業製品の輸送を容易にし、各地域の市場を結び付けた。しかし、鉄道が経済にもたらした利益は、どの程度の大きさだったのだろうか。輸送費の低下は鉄道沿線だけでなく、広域の市場環境を変化させていた可能性がある。
2016年、経済学者Dave Donaldson(デイブ・ドナルドソン)とRichard Hornbeck(リチャード・ホーンベック)は、学術誌「The Quarterly Journal of Economics」に論文「Railroads and American Economic Growth: A “Market Access” Approach」を発表した。19世紀米国の鉄道網を再構築し、農業部門への影響を一般均衡貿易理論と歴史資料から分析した研究である。
著者らは、1890年の米国からすべての鉄道を取り除いた場合、農地価値の総額が約60%低下すると推計した。これは実際に起きた損失ではなく、鉄道が存在しない状況を想定した反実仮想分析である。研究の特徴は、鉄道の経済効果を沿線地域だけでなく、全国的な市場アクセスの変化から評価した点にある。
鉄道の経済効果を測る「市場アクセス」とは
交通インフラの効果を分析する際、鉄道が開通した地域と開通しなかった地域を比較する方法が考えられる。しかし、新しい鉄道が建設されると、沿線以外の地域の輸送条件も変化する。離れた地域が新しい輸送経路を利用できるようになったり、競合地域との取引条件が変わったりするためである。
この問題に対応するため、著者らは市場アクセス(Market Access)という指標を用いた。市場アクセスとは、ある地域が国内のさまざまな市場と、どの程度有利な条件で取引できるかを表す概念である。
例えば、同じ農産物を生産する地域でも、大きな市場へ低い費用で輸送できる地域と、輸送費が高く販売先が限られる地域では、農業の収益性が異なる可能性がある。ただし、市場アクセスは近くの都市までの距離だけでは決まらない。市場の規模、各地域までの輸送費用、ほかの生産地域からのアクセス条件なども関係する。
著者らは一般均衡貿易理論から市場アクセスの指標を導き、1870年から1890年にかけての鉄道、河川、運河などの輸送ネットワークを再構築した。さらに、米国内の郡と郡の間について、利用可能な交通手段を組み合わせた最も輸送費用の低い経路を計算した。
こうして全国の鉄道網が変化したことで、各郡の市場アクセスがどの程度改善したのかを推計し、その変化が農地価値にどのように反映されたかを分析している。
鉄道がなければ農地価値は60.2%低下
今回の研究で最も注目されるのが、1890年の米国から鉄道網をすべて取り除く反実仮想分析である。
著者らは、鉄道が存在しない場合の市場アクセスを各郡について再計算し、市場アクセスと農地価値の推定関係を用いて、農業部門全体への影響を算出した。
その結果、農地価値の総額は60.2%低下すると推計された。また、この農地価値の減少に対応する年間の経済的損失は、当時の米国GNP(国民総生産)の3.22%に相当すると試算されている。
ここで重要なのは、60.2%と3.22%が異なる経済指標だという点である。前者は農地という資産の総価値の減少率であり、後者は対応する年間の経済的損失をGNPと比較した割合である。
したがって、研究は鉄道が存在しなければ米国全体のGDPが60%減少したと示したものではない。主として農業部門の土地価値に着目した分析であり、鉄道が製造業や技術革新などへ与えた影響のすべてを測定しているわけではない。
鉄道の敷設と地域の経済成長をどう区別したのか
鉄道の経済効果を分析する際には、鉄道がもともと成長する見込みの高い地域に建設された可能性を考える必要がある。農地価値が上昇した地域に鉄道が存在していたとしても、その上昇が鉄道によって引き起こされたとは限らないためである。
著者らは、この問題に対応するため、地域内の鉄道敷設状況だけでなく、遠く離れた地域での鉄道網の変化が市場アクセスに与えた影響を利用した分析を行っている。
例えば、ある郡に新しい鉄道が直接建設されていなくても、ほかの地域の鉄道網が拡大すれば、その郡から市場へ商品を輸送する費用が変化する場合がある。このような変化を利用することで、地域内の鉄道建設と同時に生じた経済発展の影響を抑えようとしている。
また、郡内の鉄道敷設の変化を統制した分析や、遠方市場へのアクセスの変化に着目した分析も実施している。さらに、当初の水運へのアクセス条件を利用した操作変数による推定も試みている。
ただし、操作変数による推定結果は大きいものの、推定精度が低く、不確実性も残ると著者らは説明している。
市場アクセスの変化自体が地域の経済発展と関係している可能性を、完全に排除できるわけではない。また、反実仮想の結果は、貿易理論や人口移動などに関するモデルの前提にも依存する。
この研究の強みは、鉄道の経済効果を単純な沿線比較に限定せず、全国の輸送網を通じて生じる間接的な影響まで捉えようとした点にある。
Fogelの鉄道研究との違い
米国の鉄道と経済成長の関係については、経済史家Robert Fogel(ロバート・フォーゲル)の1964年の著作「Railroads and American Economic Growth: Essays in Econometric History」が重要な先行研究として知られている。
Fogelは、鉄道が存在しなかった場合、運河や道路などの代替交通手段を利用することで、どの程度の追加的な輸送費用が生じるかを分析した。この方法は「社会的節約(Social Saving)」と呼ばれ、輸送技術の経済的な価値を数量化する研究手法として知られている。
一方、DonaldsonとHornbeckは、輸送費用の変化だけでなく、その変化によって各地域の市場アクセスがどのように改善し、農地価値にどれほど反映されたかを分析している。
この違いは重要である。鉄道網が整備されると、個々の輸送経路の費用が変化するだけでなく、各地域の市場との結び付きや相対的な取引条件も変化する。
著者らによるGNP比3.22%という年間損失の推計は、Fogelの比較可能な社会的節約の推計よりもやや大きい。ただし、測定する経済的な影響の範囲や推計方法が完全に一致するわけではない。
今回の研究は、一般均衡貿易理論を利用して全国的な市場統合の効果を推計することで、従来の経済史研究を発展させたものといえる。
運河や道路は鉄道の代わりになったのか
鉄道が存在しなかったとしても、運河や道路を整備することで輸送条件を改善できた可能性がある。著者らは、代替交通手段によって鉄道撤去の損失をどの程度軽減できるかについても分析している。
その結果、Fogelが想定した運河網の拡張では、鉄道を撤去した場合の損失の約13%を軽減できると推計された。また、道路輸送の費用を引き下げる場合には、損失の約21%を軽減できるという結果が示されている。
これらの推計は、鉄道が存在しない状況でも代替交通手段が一定の役割を果たし得る一方、鉄道網が提供していた市場アクセスを十分に置き換えることは難しいことを示している。
ただし、実際に鉄道を撤去したり運河網を拡張したりした結果ではなく、一定の輸送条件を仮定した分析である。また、代替交通手段の整備費用や、鉄道がなかった場合の産業構造の変化などについては、推計の前提を考慮する必要がある。
人口移動を考慮すると経済効果は変わるのか
鉄道が存在しなかった場合、人口や農業生産の地域分布も実際の歴史とは異なっていた可能性がある。そのため、1890年の人口分布を固定したまま鉄道だけを取り除く方法では、経済全体への影響を十分に捉えられない可能性がある。
著者らは、人口分布を過去の時点に置き換える分析に加え、モデルのなかで人口が郡の間を移動する場合についても検討している。
その結果、米国全体の人口を一定としながら、地域間で大きな人口再配分が生じると仮定しても、農地価値への推計上の影響は大きく変わらないと報告している。
ただし、労働者の厚生が変化する場合には、鉄道の経済的な影響が土地所有者と労働者の間でどのように配分されるかも重要となる。
したがって、土地価値の変化だけで、鉄道が社会全体にもたらした利益を完全に把握できるとは限らない。
インフラ投資の利益は誰に帰属するのか
鉄道や道路、港湾などのインフラは多額の建設費用を必要とするが、その利益はインフラを所有する企業だけに帰属するわけではない。
交通費用が低下すれば、生産者はより有利な条件で商品を市場に運べるようになり、地域の収益機会が拡大する可能性がある。その効果は土地価格や賃料、企業の立地選択にも反映され得る。
DonaldsonとHornbeckの研究では、鉄道による市場アクセスの改善が農地価値に反映されたことが示されている。これは、交通インフラの利益が鉄道会社だけでなく、農地を所有する人々にも及んでいたことを考える材料となる。
一方、交通インフラの整備は農業以外の産業や労働者、消費者にも影響するため、その便益がすべて農地価値に反映されるわけではない。
インフラ投資を評価する際には、建設に必要な費用だけでなく、どの地域や産業に利益が生じ、その利益がどのように分配されるかを検討する必要がある。
市場統合から経済成長を考える
今回の研究が明らかにしたのは、鉄道網による市場アクセスの改善が、農地価値を通じて大きな経済的利益をもたらしていたということである。
鉄道の経済効果は、線路が建設された地域の発展だけでは測れない。ある地域の交通網が改善されれば、ほかの地域の輸送条件も変化し、全国的な市場統合が進む可能性がある。
その影響を捉えるには、個々の輸送経路だけでなく、交通ネットワーク全体を分析する必要がある。
関連する研究として、Richard HornbeckとMartin Rotembergは、2024年に「Growth Off the Rails: Aggregate Productivity Growth in Distorted Economies」を発表している。この研究では19世紀米国の製造業を対象に、鉄道網の拡大による市場アクセスの改善が生産性に与えた影響を分析した。
その結果、鉄道が全国的な生産性の向上に寄与し、資源配分のゆがみを考慮すると、従来の推計よりも大きな経済的利益が得られる可能性が示されている。
ただし、これはDonaldsonとHornbeckの2016年論文とは別の研究である。農業部門の土地価値に着目した分析と、製造業の生産性に着目した分析を区別する必要がある。
こうした研究は、交通インフラが経済成長に果たす役割を考える際に、輸送費用の低下だけでなく、市場統合や資源配分の改善まで視野に入れる重要性を示している。
鉄道による市場アクセスの改善を数量化したDonaldsonとHornbeckの研究は、経済史の分析手法を発展させるとともに、インフラ投資がもたらす利益を広域的な経済関係から評価するための重要な視点を提供している。
参考資料・関連研究
1.Dave Donaldson・Richard Hornbeck(査読済み原論文全文・60ページ)
2.Dave Donaldson・Richard Hornbeck(オンライン付録・82ページ)
3.Stanford University(原論文の研究紹介)
"Railroads and American Economic Growth: A 'Market Access' Approach."
4.Robert W. Fogel(経済史に関する先行研究・書誌情報)
"Railroads and American Economic Growth: Essays in Econometric History," Johns Hopkins Press, 1964.