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【山中裕の経済学サロン】「近づくな」を作る細胞――Rspo2陽性ニューロンの正体

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前回、扁桃体の主細胞を遺伝子で地図に描くと、前部にRspo2という負の価のマーカーが浮かび上がるという話をしました。今回はこの細胞が実際に何をしているのかを見ていきます

皆さん、こんにちは。前回、扁桃体基底外側核(BLA)の興奮性細胞を遺伝子発現で見ると、前部の基底核にRspo2という遺伝子を発現する細胞群が集まっていて、これが負の価――恐怖や回避に関わるとされている、という話をしました。今回はこのRspo2陽性細胞が、実際の行動レベルで何をしているのか、光遺伝学の実験を中心に掘り下げてみたいと思います。

マーカーから機能へ――光遺伝学という手法

遺伝子発現のパターンだけでは、その細胞が本当にその機能を担っているかどうかは分かりません。ある行動が起きているときにたまたま一緒に活動していた、という相関にすぎない可能性が残るからです。ここで威力を発揮するのが光遺伝学です。特定の遺伝子を発現する細胞にだけ光感受性のタンパク質を発現させ、光を当てて人工的にオン・オフを切り替えることで、その細胞が行動にとって「必要」なのか「それだけで十分」なのかを直接検証できます。

Kim、Pignatelli、Xu、Itohara、Tonegawaらが2016年に『Nature Neuroscience』誌に発表した研究は、まさにこの手法をRspo2陽性細胞に適用したものです。

必要性と十分性――両方が揃った

この研究がまず示したのは必要性です。Rspo2陽性細胞の活動を光遺伝学的に抑制すると、通常なら音と電気ショックを結びつけて学習するはずの恐怖条件づけが、うまく成立しなくなります。すでに学習が成立したあとの恐怖の表出――すくみ行動――についても、Rspo2陽性細胞を抑えると弱まることが確認されました。つまりこの細胞群は、恐怖の学習にも、学習済みの恐怖を実際に表に出す段階にも、どちらにも関わっているということです。

さらに重要なのは十分性の証明です。何の学習もしていない状態で、Rspo2陽性細胞を光で人工的に活動させると、動物はその場所を避けるようになります。実際には何も嫌なことが起きていないのに、この細胞群を光で叩くだけで、回避という行動が引き起こされる。これは、Rspo2陽性細胞が単なる「恐怖のときに一緒に光る観客」ではなく、回避行動そのものを生み出す運転席に座っていることを意味します。

相互抑制――Ppp1r1b陽性細胞との綱引き

もう一つ興味深いのは、Rspo2陽性細胞と、前回ご紹介したPpp1r1b陽性の正の価の細胞群が、互いに抑制し合う関係にあるという点です。回路レベルでの実験では、Rspo2陽性細胞の活動が、Ppp1r1b陽性細胞の活動を局所的に抑え、逆もまた成り立つことが示されています。

これは単純に「負の価の細胞が発火する」「正の価の細胞が発火する」という並列的な話ではなく、一種の綱引きとして理解すべきものです。ある刺激が入ってきたとき、それが脅威として解釈されるか、報酬として解釈されるかは、この二つの細胞集団のどちらが相手を抑え込んで優位に立つかによって決まる、という描像です。負の学習が進むほどRspo2側の綱が強くなり、逆に消去学習が進むとPpp1r1b側が押し返す、という力学として捉えることができます。

どこへ信号を送っているか

Rspo2陽性細胞の出力先として重要なのが、中心核の外包部(CeC)と、前頭前野の中でも前辺縁皮質(プレリンビック、PL)と呼ばれる領域です。

CeCへの投射は、扁桃体の出力段階そのものへの経路です。以前このシリーズでお話ししたとおり、中心核は扁桃体の最終出口であり、すくみ行動や自律神経反応の引き金を引く場所です。Rspo2陽性細胞からCeCへの直接投射は、「脅威と判定した」という信号を、行動として出力する回路の最短ルートの一つだと考えられます。

もう一つのPLへの投射は、以前ご紹介した前頭前野による再評価の話とつながってきます。内側前頭前野は大きく前辺縁皮質(PL)と下辺縁皮質(IL)に分かれ、一般にPLは恐怖の表出を後押しする側、ILは恐怖の消去を後押しする側として働くという対比が知られています。Rspo2陽性細胞が主にPL側に投射しているという事実は、この細胞群が前頭前野のレベルでも「恐怖を維持する」方向の回路に組み込まれていることを示しています。

最近の見直し――「負の価」はどこまで正確か

ここまでの話は、Rspo2陽性細胞を「恐怖・回避の細胞」として単純化して描いてきました。ただし前回も触れたとおり、この二分法をそのまま真実として受け取るのは慎重であるべきです。

Limらによる2024年の『Nature Communications』誌の研究は、Rspo2陽性細胞についてより解像度の高い見方を提示しています。この研究によれば、Rspo2陽性細胞が示す「負の価」的な反応は、あらゆる嫌悪刺激に対して一様に現れるわけではなく、とりわけ摂食に関連する負の価――苦い味や、空腹でないときの食物拒否といった文脈で強く表れる、いわば摂食特異的な負の価の細胞という性格を持つことが分かってきました。電気ショックのような身体的な脅威に対する回避と、まったく同じ細胞集団がそのまま担当しているわけではない、という指摘です。

これは決してKim & Tonegawaらの2016年の発見を否定するものではありません。光遺伝学で示された必要性・十分性そのものは頑健な結果です。ただ、「Rspo2=恐怖全般のスイッチ」という単純な理解から、「Rspo2=状況依存的な負の価の一部を担う集団であり、その中身は文脈によって異なりうる」という、より精緻な理解へと更新されつつある、ということです。神経科学の知見は、一度確立されたら終わりではなく、こうして解像度を上げながら書き換えられていくものだということを、この経緯は教えてくれます。

ガバナンスへの示唆

私がこの回路の話から感じるのは、「危険信号を出す係」がいること自体は健全だということです。問題は、その係が一種類の脅威にしか反応しないはずなのに、あらゆる場面で過剰に発火してしまう状態、あるいはその係を誰も検証せずに絶対視してしまう状態の方です。

企業のリスク管理でも、「これは危険だ」と警鐘を鳴らす役割――内部監査であれ、社外取締役であれ――は必要です。しかし、その警鐘が本当にいまの状況に適合したものなのか、それとも別の文脈で学習された反応パターンをそのまま持ち込んでいるだけなのかは、常に検証され続けるべきです。Rspo2細胞の理解が精緻化されていったように、企業における「危険信号」の出し方もまた、一度作ったら終わりではなく、繰り返し検証し、必要なら書き換えていく対象なのだと思います。次回は、この綱引きの反対側にある、正の価・報酬に関わる細胞群を見ていきたいと思います。


参考文献

  • Kim, J., Pignatelli, M., Xu, S., Itohara, S., & Tonegawa, S. (2016). Antagonistic negative and positive neurons of the basolateral amygdala. Nature Neuroscience, 19(12), 1636-1646.

  • Lim, B. K., et al. (2024). Molecular and functional diversity of amygdala neurons. Nature Communications.