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リスクと情報を、最も安く扱えるのは誰か――草野耕一元判事の個別意見に見る企業法の経済学

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法的な責任は、誰に、どれだけ負わせるべきか。

伝統的な法律学は、この問いに、過失の有無や義務の内容といった概念の解釈を通じて答えてきた。これに対し、法と経済学は、同じ問いを別の角度から立て直す。リスクを最も安く分散できるのは誰か。事故を最も安く防げるのは誰か。必要な情報を最も安く入手し、伝えられるのは誰か。責任をその者に負わせることが、社会全体の費用を最も小さくする、という考え方である。

2019年2月から2025年3月まで最高裁判所判事を務めた草野耕一氏は、在任中に25件の個別意見を書いた。夫婦同氏制や性同一性障害者特例法をめぐる事件での意見が広く知られているが、企業法の観点から注目に値するのは、会社とその周辺の人々の責任を扱った意見である。

草野氏は、有斐閣Onlineの退官記念の座談会で、自らの法解釈の基礎に「帰結主義」「福利主義」「集計主義」の三つを置いてきたと語り、経済学と現代倫理学の知見を法律論に取り込むことを、現代の法律学の喫緊の課題と位置づけている。本稿では、会社法とガバナンスにかかわる4件の個別意見を取り上げ、その論理を法と経済学の枠組みに即して読み解く。なお、同座談会の連載で、4件のうちすでに取り上げられたのは逆求償の1件にとどまる。

分析の枠組み――三つの問い

4件を読むにあたり、法と経済学の三つの基本的な問いを確認しておく。

・リスクの負担:同じ損失でも、それを多数の取引や資産の中で分散できる者にとっての負担は小さく、分散できない個人にとっての負担は大きい。リスクは、それを最も安く負担できる者に配分されるべきである。

・事故の回避:法学者グイド・カラブレイジは1970年の著書『事故の費用』で、事故を最も安い費用で回避できる者に責任を負わせることが、事故の費用を最小化すると論じた。いわゆる「最安価費用回避者」の考え方である。

・情報の非対称性:必要な情報を持つ者と、その情報に基づいて判断すべき者が異なるとき、情報を伝える義務の設計が、結果を大きく左右する。

以下の4件は、それぞれ、この三つの問いのいずれかに対応している。

①逆求償――リスクは、分散できる者が負う

最高裁令和2年2月28日第二小法廷判決(平30(受)1429)は、資本金300億円を超える上場の運送会社のトラック運転手が、業務中に死亡事故を起こし、遺族に約1,550万円を賠償した事案である。会社は、事業用の車両に任意保険を掛けていなかった。運転手が、賠償した額を会社に請求できるか、すなわち被用者から使用者への「逆求償」の可否が争われた。

最高裁は、逆求償が認められうることを初めて正面から認め、運転手が会社に請求できる額を判断させるため、事件を高等裁判所に差し戻した。

菅野博之裁判官との共同補足意見で、草野氏は、この結論を経済学の言葉で基礎づけている。その論理は、三つの段階に整理できる。

第一に、大数の法則である。数多くの運転手を抱える企業から見れば、個々の事故の賠償額は全体として平均に近づき、あらかじめ見積もることのできる経常的な費用となる。しかし一人の運転手にとって、同じ賠償は人生を左右しかねない損失となる。

第二に、株主による分散である。上場会社であれば、最終的に損失を負担する株主は、他の資産との組み合わせによって、自らが望む水準にリスクを調整することができる。

第三に、自家保険の選択である。会社が保険を掛けずに自己資金で賠償する方針を採ったのは、会社自身の利益のためであり、そのために運転手は保険会社による訴訟上の支援を受ける機会も失った。この事情は、運転手の負担を軽くする方向に考慮されるべきだとされた。

こうした事情を踏まえ、草野氏は、この種の関係において運転手が最終的に負うべき額は小さくなるのが通常であり、まったく負わせない結論もありうるとした。ただし同時に、加害者の負担を軽くしすぎることが、矯正的正義の要請に反し、あるいは注意を怠る誘因を生むことのないよう配慮すべきだとも指摘している。

この意見は、リスク負担の効率性と、事故防止の誘因という、法と経済学の二つの基本的な関心を同時に扱っている点で注目される。使用者責任の経済分析で知られるアラン・サイクスも、1984年の論文で、使用者に責任を負わせることの根拠を、使用者がリスクを分散し、被用者の行動を監督できる立場にあることに求めていた。草野意見は、こうした議論を、具体的な事案に即して最高裁の意見の中に書き込んだものといえる。

②会計限定監査役――監査の水準は、就任者の経歴で上下しない

最高裁令和3年7月19日第二小法廷判決(令1(受)1968)は、非上場の中小企業で、経理担当の従業員が約9年にわたり約2億3,500万円を横領した事案である。その手口は、銀行が発行した残高証明書を複写して改ざんするというものであった。会社は、監査の範囲を会計に限定された監査役に対し、任務を怠ったとして損害賠償を求めた。この監査役は、公認会計士の資格を持つ顧問税理士であった。

草野氏が裁判長を務めた最高裁は、計算書類が会計帳簿の内容と合致していることを確認しただけでは、常に任務を尽くしたことにはならないと判断し、事件を差し戻した。会計帳簿の作成状況について取締役に報告を求め、あるいは基礎資料を確かめるべき場合がある、という判断である。

草野氏は補足意見で、監査役の責任を広げたこの判断に、二つの限定を付している。

一つは、専門資格が義務を重くするわけではないという点である。会計限定監査役には公認会計士の資格は求められておらず、たまたま就任者が公認会計士であっても、公認会計士法上の監査を行う義務を負うわけではない。監査役の職務の内容は法によって定められており、特別な合意がない限り、就任した者の属性によって変わらない、とされた。

もう一つは、通常の会計限定監査役に合理的に期待できる行為を基準に判断すべきだという点である。たとえば、会社の口座がインターネット上で管理されているのであれば、画面上の残高の推移を示すよう求めることが考えられる。差戻し後の審理では、そうした行為を、通常の会計限定監査役に期待できたかどうかを見極めるべきだとされた。

責任の基準を就任者の能力によって変えれば、専門性の高い者ほど重い責任を負うことになる。その場合、優れた専門家ほど中小企業の監査役を引き受けなくなり、監査の担い手が失われかねない。他方で、帳簿との照合だけで任務を果たしたとすれば、監査は形骸化する。草野意見は、担い手の確保と監査の実効性という二つの要請の間に線を引いたものと読むことができる。ただし、この読み方は筆者によるものであり、意見そのものがそこまで述べているわけではない。

③公認会計士協会の決定の開示差止め――一年間の資金の流れは、期末の一時点では検証できない

最高裁令和2年11月27日第二小法廷判決(令1(受)1900)は、上場会社を監査した公認会計士が、日本公認会計士協会から上場会社監査事務所名簿への登録を拒否され、その事実を協会のウェブサイトで開示することの差止めを求めた事案である。

監査先の会社は営業赤字を続けながら、常に約1億円の現金を手元に置き、その保管場所を会計士に明らかにしていなかった。これに対し会計士が現金の入出金を証憑と照らし合わせたのは、一年のうち約5か月半分にとどまっていた。

最高裁は、差止めを認めた高等裁判所の判決を破棄した。リスクの高い会社に対して、そのリスクに応じた監査手続が行われていたかを検討すべきだとしたのである。

岡村和美裁判官との共同補足意見で、草野氏は、年度を通じた突合は実効的でないとした高裁の判断を、経験則に関する重大な誤りであると指摘した。

期末時点の現金を実査すれば、貸借対照表の数字を裏づけることはできよう。だが、キャッシュ・フロー計算書が表すのは期首から期末までの資金の動きであり、その数字が正しいかどうかは、期中の取引を通して照合しない限り判断できない。さらに草野意見は、会計士が多額の現金移動があった期間だけを突合したと主張していた点についても、その年度の営業キャッシュ・フローが約7.7億円の赤字であったことや、突合されなかった期間に2,000万円を超える現金取引が3件あったとする第三者委員会の報告を挙げて、その説明に疑問を呈している。

法学者ラインアー・クラークマンは1986年、取引の当事者ではないが、不正を防ぐ立場にある監査人などを「ゲートキーパー」と呼び、その責任の設計が企業の不正を抑止するうえで重要だと論じた。ゲートキーパーの責任が実効性を持つためには、その手続が、検証すべき対象の構造に適合していなければならない。草野意見は、財務諸表の構造という具体的な水準で、その適合性を問うたものといえる。

④東電旧経営陣――経営陣に求められたのは、運転の停止ではなく国への報告

最高裁令和7年3月5日第二小法廷決定(令5(あ)246)は、福島第一原子力発電所の事故をめぐり、東京電力の旧経営陣が業務上過失致死傷罪で強制起訴された事件である。検察官の役割を担った指定弁護士は、経営陣は原子炉の運転を停止すべきだったと主張した。

最高裁は、運転停止の義務を課すほどの予見可能性は認められないとして、無罪の結論を維持した。

草野氏の補足意見は、この結論を支持しながら、経営陣に本来求められていた行動は何だったのかという点に踏み込んでいる。

第一に、運転の停止は、経営陣にとってきわめて重い選択である。経営陣が自らの判断で運転を止めるには、株主などの利害関係者に対して説明責任を果たせるだけの確度をもった予見が必要であった。

第二に、法制度には、経営陣の判断とは別に働く安全の仕組みがあった。電気事業法上、国は技術基準に適合しない設備の使用停止を命じることができ、原子炉は13か月以内ごとの定期検査で停止する。必要な情報が国に届けば、経営陣が自ら運転を止めなくても、対策が動き出す仕組みであった。

第三に、経営陣が怠ったのは、その情報を国に伝えることであった。東京電力は2008年に最大15.7メートルの津波が到来しうるとの試算を得ながら、2年10か月以上にわたって国に報告せず、報告したのは津波の4日前であった。速やかに報告していれば、事故の時点で原子炉が停止していた可能性がある、と草野意見は述べる。ただし、報告義務を怠ったことは起訴された過失の内容に含まれていなかったため、結論は変わらないとされた。

この意見は、取締役の義務を、自らすべてを判断し実行することとしてではなく、判断に必要な情報を、判断の権限を持つ者に速やかに届けることとして捉え直している。法と経済学の観点からは、企業と規制当局との間の情報の非対称性を解消する義務の重要性を示したものと読むことができる。企業が不都合な情報を抱え込むとき、その影響は、原子力発電に限らず、あらゆる規制産業に及びうる。

評価――「理由の精度」を上げる個別意見

4件を貫いているのは、責任の帰属を、あるべき義務の観念から演繹するのではなく、リスクと情報を最小の費用で扱える主体はどこかという観点から組み立てる方法である。

・事故のリスクは、それを分散できる会社と株主が負う(①)

・監査役の義務は、就任者の属性ではなく、通常の監査役に期待できる行為を基準に定める(②)

・監査人には、検証すべき財務諸表の構造に適合した手続を求める(③)

・経営陣の義務の中心を、自らの決断よりも、規制当局への情報の伝達に置く(④)

注目すべきは、4件のいずれにおいても、草野氏が法廷意見の結論に賛成したうえで、その理由の精度を上げるために個別意見を書いている点である。経済学の道具は、法の結論を置き換えるためではなく、法の論理を明確にするために用いられている。座談会で草野氏は、調査官を説得できない意見は公表に値しないとの考えから、草稿に何度も手を入れたと振り返っている。経済学の知見を、法の支配の枠組みの中で用いる。4件の意見は、その一つの到達点を示している。

一方で、こうした手法には限界もある。何が最も安い費用かを判断するには、事案ごとの事実の把握と、ときに推計が必要となる。帰結の評価が裁判官の判断に委ねられる以上、その判断の根拠が十分に示されなければ、法の予測可能性はかえって損なわれかねない。草野氏が意見の中で数字や会計の構造にまで踏み込んだのは、こうした批判を意識したものとも考えられる。

含意――少数株主と非上場企業への示唆

4件の意見が示した問いは、少数株主と非上場企業をめぐる問題にもそのまま当てはまる。

第一に、誰がリスクを分散できるかという問いである。非上場企業の少数株主は、保有する株式を分散も売却もできないことが多い。逆求償の事案で、分散できない運転手に損失を負わせるべきでないとされた論理は、支配株主と少数株主の間で、企業価値の変動のリスクや非流動性のコストを誰が負うべきかを考える際にも、有力な物差しとなる。

第二に、誰が情報を持っているかという問いである。非上場企業では、会社の財務や事業の情報は経営陣と支配株主に偏在している。東電の事案で示された、情報を持つ者がそれを伝える義務を負うという考え方は、少数株主に対する情報開示や、株式の評価に必要な資料の提供の在り方を考えるうえでも示唆を与える。

第三に、監査の実効性の問題である。会計限定監査役の事案が示したように、中小企業の監査は、形式的な照合にとどまりやすい。監査の担い手を確保しつつ、その実効性を確保する仕組みは、非上場企業の少数株主にとって、会社の情報の信頼性を支える基盤となる。

責任は、リスクと情報を最も安く扱える者に負わせる。草野意見は、その経済学の原則を、法の論理の中で具体的な線として引いてみせた。

※各意見に対する経済学的な解釈は、筆者の責任においてまとめたものである。各事件の判断の内容については、判決文・決定文を参照されたい。

関連URL・参考資料

・最高裁判所第二小法廷 令和2年2月28日判決(平成30年(受)第1429号)

・最高裁判所第二小法廷 令和3年7月19日判決(令和元年(受)第1968号)

・最高裁判所第二小法廷 令和2年11月27日判決(令和元年(受)第1900号)

・最高裁判所第二小法廷 令和7年3月5日決定(令和5年(あ)第246号)

・裁判所「裁判例検索」

https://www.courts.go.jp/hanrei/search1/index.html

・有斐閣Online 草野耕一・田中亘「総論」(2025年)

・有斐閣Online「民法(前編)」(2026年)

・Guido Calabresi『The Costs of Accidents: A Legal and Economic Analysis』(Yale University Press、1970年)

・Alan O. Sykes「The Economics of Vicarious Liability」(Yale Law Journal、1984年)

・Reinier H. Kraakman「Gatekeepers: The Anatomy of a Third-Party Enforcement Strategy」(Journal of Law, Economics, & Organization、1986年)