Legal Insight
【特集インタビュー】山中裕氏に聞く「会社を守る時代は終わった。これから守るべきは“移動できる力”です」

「会社を守る時代は終わった。これから守るべきは“移動できる力”です」
聞き手・構成/Capital Justice Lab 編集部
「雇用を守るのか、それとも流動化するのか」。
日本の労働政策は、長いあいだこの二択で語られてきた。だが、投資家・実業家として企業統治のゆがみと向き合い、少数株主保護の現場でも戦ってきた山中裕は、この問いそのものが古いと言う。山中が注目するのは、欧州で議論されてきたフレキシキュリティ、そしてその先にある移動的労働市場アプローチだ。そこから見えてくるのは、会社にしがみつくことを前提にした社会から、移動しながら働き続けられる社会への転換である。
編集部
参考資料URL:https://x.gd/P4Hxe 『フレキシキュリティと移動的労働市場アプローチ』 若森章孝氏
まず、今回の資料を読んで、山中さんが一番大事だと感じたポイントから教えてください。
山中裕
いちばん重要なのは、守るべきものが「同じ会社に残ること」ではなくなっているという点です。
この資料では、フレキシキュリティの議論の中で、従来の「job security」、つまり同じ仕事や同じ職場にとどまることを守る発想から、「employment security」、つまり労働市場の中で移動しながらも働き続けられる状態を守る発想への転換が示されています。私はここが核心だと思いました。
日本ではまだ、「雇用を守る」というと、その会社に残れるかどうかの話になりがちです。でも現実には、人は転職もするし、育児や介護で一度離れることもあるし、学び直しも必要になる。そういう時代に必要なのは、一つの席を守る制度ではなく、移っても壊れない制度なんです。
編集部
そもそもフレキシキュリティとは、どう理解すればいいのでしょうか。
山中裕
簡単に言えば、柔軟性と保障性を両立させる考え方です。
資料では、EUがフレキシキュリティの共通原則として四つの政策要素を整理していると説明されています。
一つ目は、柔軟で信頼できる雇用契約。
二つ目は、就労可能性を高める包括的な生涯学習。
三つ目は、失業から新しい職への移動を促進する積極的労働市場政策。
四つ目は、所得支援と就労促進、労働市場の流動性を結びつける現代的な社会保障制度です。
つまりこれは、単なる規制緩和の話ではない。
企業側に柔軟性を与えるなら、働く側には再訓練と生活保障をセットで用意しなければいけないという話です。ここを抜いて「流動化だけ」語るのは、本来のフレキシキュリティとは違います。
編集部
日本では「流動化」と聞くと、どうしても“切りやすくする話”に聞こえてしまいます。
山中裕
そこがまさに誤解されやすいところです。
資料でも、就労可能性、つまりエンプロイアビリティを高めることが二本目の柱としてかなり重視されています。中高年も含めて技能訓練を続けること、若者が学校から労働市場に移る際の支援を制度化することが重要だとされています。
私はこれを見ていて、日本は順番を間違えやすいと思いました。
まず企業の自由度を上げようとする。
でも本来は逆なんです。人が次へ行ける橋をつくるから、柔軟性が社会に受け入れられる。そこを飛ばしたら、単に不安定さが増すだけです。
編集部
欧州では、デンマーク型が理想モデルとして語られてきた面もありますよね。
山中裕
そうですね。デンマークは、積極的労働市場政策への支出が大きく、生涯教育や職業訓練の仕組みもかなり整っていると資料でも紹介されています。特に、継続的職業訓練に毎年多くの労働者が参加していて、企業特殊技能を超える技能形成に役立っている点が高く評価されています。
ただ、私はこのモデルをそのまま“理想像”として輸入するのは危ないとも思っています。
なぜなら、柔軟性だけでは回らないからです。かなり厚い訓練制度と保障制度、そして社会全体の負担の受け入れがあって初めて成立する仕組みだからです。
編集部
今回の資料は、デンマーク礼賛で終わっていない印象もあります。
山中裕
その通りです。そこがこの資料の面白いところです。
フレキシキュリティの議論は、もう「成功モデルを見つけたから終わり」ではなくなっている。資料全体からも、危機や環境変化を経て、研究と論争が次の段階に進んでいることが伝わってきます。特に重要なのは、単に失業の問題だけを見るのではなく、就労可能性の劣化そのものが将来の主要リスクだと捉えている点です。
景気が悪くなったから仕事がなくなる、というだけじゃない。
技術が変わる。産業が変わる。年齢を重ねる。家庭の事情も変わる。
その中で、自分の能力が市場で通用しなくなっていく。
これが今の時代の本当の怖さなんです。
編集部
そこから「移動的労働市場アプローチ」につながっていくわけですね。
山中裕
そうです。私はここが、この資料の一番先進的な部分だと思いました。
移動的労働市場アプローチは、現代の労働市場を、単に「雇用の中にいるか、失業しているか」だけで見るのではありません。資料では、現代の労働市場は五つの移動から成ると整理されています。労働市場内部での移動、教育・技能訓練と雇用の移動、雇用と家庭領域の移動、雇用と就労可能性を失った状態との移動などです。
要するに、人は仕事だけして生きているわけじゃない。
学ぶこともある。家族を支える時期もある。病気や加齢の問題もある。
それなのに制度だけが「ずっと同じように働ける人」を前提に作られていたら、当然どこかで壊れるわけです。
編集部
このアプローチのポイントは何でしょうか。
山中裕
一言でいえば、移動そのものではなく、移動に伴うリスクをどう制度で支えるかです。
資料では、五つの主要リスクとして、人的資本や就労可能性の後退、雇用関係の移動による所得不安定、子育てや介護による所得能力の制限、非自発的失業、障がいや慢性的な病気、加齢による所得能力の低下が挙げられています。さらに、そうした移動を引き受けるための「信頼できる橋」として、所得能力、所得保障、所得支援、所得維持、所得代替という五つの制度的保障が提案されています。
この発想はすごく重要です。
転職が悪いのではない。
育児や介護で一度離れることが悪いのでもない。
悪いのは、その瞬間に生活が崩れることなんです。
だから政策は、「動くな」ではなく、動いても落ちない仕組みをつくる方向へ行かなきゃいけない。
編集部
日本の現状に引きつけると、どこが一番の弱点だと思いますか。
山中裕
私は、会社の中にいる間だけ守られる構造が一番の弱点だと思っています。
日本は企業の中で人を育てる仕組みはそれなりに持ってきた。でも、そこで身につく技能が他社で通用しない場合も多い。資料でも、企業特殊技能だけでは、いざ外に出たときに転職に苦労するという問題意識が示されています。
つまり、所属している間は安定して見えても、外に出た瞬間に急に脆くなる。
これは雇用の問題だけじゃありません。私は株主の世界でも同じことを見てきました。大株主や経営側にだけ都合よくできた制度の中では、一見安定していても、少数株主のような弱い立場の人は守られない。だから私は、HOYAへの株主提案や、少数株主保護をめぐる裁判を通じて、透明性と公正さを求めてきました。
雇用市場も同じです。
中にいる間だけ守る仕組みは、公正な制度とは言えない。
移動する人、離れる人、再挑戦する人まで含めて守れるかどうか。そこが問われています。
編集部
山中さんご自身の問題意識とも、かなり重なりますね。
山中裕
かなり重なります。 私はこれまで、少数派や次世代にしわ寄せがいく構造を変えたいという意識で活動してきました。添付の人物紹介にもあるように、若者への投資や、高齢者偏重の社会構造を変えて次世代に資源を振り向けることは、私の大きな問題意識の一つです。
今回の資料を読んで改めて思ったのは、労働政策も同じだということです。
高齢者中心、既得権中心、所属中心の制度のままでは、若い人ほど身動きが取れない。
本来もっと投資すべきなのは、教育、学び直し、再挑戦のための時間とお金です。
そうしないと、日本全体の活力が落ちていく。
編集部
では、日本がこれから本当にやるべきことは何でしょうか。
山中裕
私は三つあると思います。
第一に、学び直しの生活保障です。
職業訓練やリスキリングの重要性はみんな言います。でも生活費の支えがなければ、現実には学べません。だから所得支援と訓練機会を切り離してはいけない。これは資料の四つの政策要素にも、移動的労働市場の制度保障にも通じる話です。
第二に、危機時の雇用維持と技能維持です。
不況のたびに人を切って調整するのではなく、労働時間調整や訓練で人を残す発想が必要です。技能を切ってしまったら、次の回復局面でまた困るわけですから。
第三に、次世代への資源配分の組み替えです。
教育、訓練、再挑戦の支援にもっと大きく投資する。
私はこれが、日本の資本主義をアップデートするうえで不可欠だと思っています。
編集部
最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
山中裕
日本は長い間、「雇用を守るか、流動化するか」という古い対立に縛られてきました。
でも、これから本当に必要なのは、そのどちらかではありません。
必要なのは、
動けること。学び直せること。休めること。戻れること。
その全部を制度としてつなぐことです。
会社に残ることだけを守る時代は、もう終わりです。
これから守るべきなのは、人が移動しながらも価値を失わずに働き続けられる力です。
そして、その力を支える制度をつくれるかどうかが、日本の未来を決めると思っています。