【山中裕の経済学サロン】確実な100万円と、五分五分の200万円――プロスペクト理論を七つの場面で読む

前回の続きです。カーネマンとトベルスキーが残した発見のうち、もっとも実生活に落ちる部分を掘り下げます
皆さん、こんにちは。前回はマイケル・ルイス『後悔の経済学』を通じて、カーネマンとトベルスキーという二人の心理学者の物語をご紹介しました。ヒューリスティクスとバイアス、プロスペクト理論、そして「取り消し(undoing)」という三つの柱に触れましたが、今回はそのうちプロスペクト理論だけを取り出して、もう少し丁寧に見ていきたいと思います。
核となる四つの性質
プロスペクト理論の核は、次の四つにまとめられます。
第一に、人は参照点から見て得か損かで物事を判断するのであって、資産の絶対額を見ているわけではありません。第二に、損失回避です。同じ金額であっても、損をする痛みは得をする喜びよりも強く感じられ、だいたい2倍前後という研究があります。第三に、感応度逓減です。100万円が200万円になる喜びより、0円が100万円になる喜びの方が大きい。金額が同じ増分でも、出発点によって感じ方が変わります。第四に、確率の歪みです。人は小さい確率を実際より過大に見積もり、中程度から高い確率は逆に過小に見積もる傾向があります。
言葉だけではぴんとこないと思いますので、具体的な場面で見ていきましょう。
確実な利益は取り、損失はギャンブルする
次の二つの問題を考えてみてください。
問題A。確実に100万円もらえる案と、50%で200万円、50%で0円という案。多くの人は確実な100万円を選びます。
問題B。確実に100万円を失う案と、50%で200万円失う、50%で0円という案。多くの人は今度はギャンブルの方を選びます。
金額の構造としては同じなのに、得の場面ではリスクを避け、損の場面ではリスクを取りにいく。これがプロスペクト理論のもっとも有名な非対称です。
言い方一つで、選ぶものが変わる
カーネマンとトベルスキーが行った有名な実験に、アジア病問題があります。600人が死亡する感染症が発生したとして、対策を「何人助かるか」で語るか、「何人死ぬか」で語るかを変えます。
助かる人数で語った場合、「200人が確実に助かる策」と「3分の1の確率で600人助かるが3分の2の確率で誰も助からない策」を比べると、多くの人は確実に助かる方を選びます。ところが、死ぬ人数で語り直し、「400人が確実に死ぬ策」と「3分の1の確率で誰も死なないが3分の2の確率で600人死ぬ策」を比べると、多くの人は今度はギャンブルの方を選びます。
中身はまったく同じ選択なのに、助かった人数で語るか、死ぬ人数で語るかによって、選好が逆転してしまう。フレーミングと呼ばれるこの現象は、政策の説明の仕方一つで人々の支持がひっくり返りうることを示しています。
値引きより、値上げ回避のほうが効く
いつも300円のコーヒーを考えてみましょう。「今日は100円引きで200円」と言われるのと、「今日は値上げをせず200円に据え置きます」と言われるのとでは、支払う金額は同じでも、前者は「得をした」と感じやすく、後者は「損を避けられた」と感じやすい。損失回避が働いているので、値上げを止めるという説明の方が、強く効くことがあります。
この参照点の効き方は、不動産や株式でも同じです。1億円で買ったマンションが9,000万円に値下がりすると、多くの人は含み損を確定させたくないという理由で売りません。このとき参照点になっているのは、いまの市場価格ではなく、自分がかつて支払った買値です。政策保有株式を売れずに抱え続ける経営判断の背後にも、同じ心理が働いていると私は見ています。株価が買値を下回っている限り、売却は「損の確定」として強く痛みを伴うからです。
宝くじと保険が同時に売れる理由
合理的な期待効用だけを前提にすると、貧しい人が宝くじを買い、同時に保険にも入るという行動は説明しにくくなります。
しかしプロスペクト理論なら説明がつきます。当選確率0.000001%という極めて小さな確率を、人は頭の中で実際よりも大きく見積もる。だから宝くじを買います。同じように、「家が全焼する」という小さな確率も過大に見積もる。だから保険にも入る。どちらも、起こりにくいけれども想像しやすい極端な結果に、実際以上の重みを置いているという点で共通しています。
期末のファンドマネジャーの行動
年初来の運用成績が良いファンドマネジャーは、年末が近づくとリスクを落とし、利益を確定させたがります。逆に成績が悪いマネジャーは、年末に近づくほど大勝負に出やすくなります。
これは会社にとって合理的なリスク管理とは正反対の行動です。個人の参照点が「年初の成績」や「同僚の成績」になっているために起きる現象であり、評価制度やインセンティブ設計を考えるうえで無視できない歪みだと思います。
テニスのセット、政策の説明
同じ30点であっても、40対0からリードを追いつかれて30対0にされる方が、0対0から0対30に開けられるよりも痛い。損失回避と参照点のせいであり、スポーツの「流れ」という感覚の一部は、この歪みで説明できます。
政策の場面でも同じことが起きます。「給付金2万円を配る」よりも、「増税2万円を止める」の方が支持を得やすいことがあります。同じ2万円でも、前者は利得のフレーム、後者は損失回避のフレームだからです。
日本のガバナンスへの接続
前回、経営者の過信という話をしましたが、プロスペクト理論を踏まえると、もう一段深く言えることがあります。参照点が「買値」や「昨年の実績」といった、企業価値とは無関係な過去の数字に固定されてしまうと、経営判断はそこから合理的に離れられなくなります。政策保有株式を買値割れのまま抱え続けるのも、赤字事業から撤退できないのも、多くは「損失を確定させる」という一点への恐れが、企業価値そのものへの判断より優先されてしまっているからです。
これは経営者の資質の問題である以上に、人間の認知に組み込まれた性質の問題です。だからこそ、参照点に縛られた経営陣の判断を外部から問い直す仕組み――社外取締役の監視、株主提案、そして必要な場面での司法の判断――が、企業価値を守るために欠かせないのだと、私は考えています。
一言でまとめるなら、人は「いくら持っているか」ではなく「どこから見て得か損か」で動き、損の痛みを避けるために、しばしば不合理な賭けに出る、ということです。『後悔の経済学』が描いたカーネマンとトベルスキーの仕事のうち、もっとも実生活に、そして経営の現場に落ちてくるのが、この部分だと思います。
参考文献
マイケル・ルイス『後悔の経済学』渡会圭子訳、文春文庫
Daniel Kahneman and Amos Tversky, "Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk," Econometrica, 1979
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(村井章子訳、早川書房)