Capital Justice Lab
Articles

Legal Finance

省令が会社法を上書きするとき――委任立法の臨界と債権者保護の後退

2006年5月に施行された会社法は、戦後の企業法制における最大級の再編であった。商法第二編、有限会社法、そして「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律」(商法特例法)――複数の法律に分散していた会社制度は、979か条から成る単一の「会社法」へと統合された。長らく懸案とされた法典化がここに一応の完成を見たのである。

だが、この壮大な体系化には、条文の表面には現れない副作用が伴っていた。会社法本文が定めるのは制度の骨格にとどまり、実務を規律する具体的な内容の相当部分は、法律ではなく法務省令へと送り出されていたのである。会社法施行規則、会社計算規則、電子公告規則――これら省令に委ねられた事項の広さと深さこそ、新会社法制が抱え込んだ最大の構造的問題であった。ジュリスト2006年7月1日号(1315号)は「会社法規則の制定」と題する特集を組み、この問題を正面から取り上げた。そこに掲載された稲葉威雄「法務省令の問題点――組織再編に関連して」は、会社法制に深く通じた実務家による、施行直後の、しかし最も本質的な警告であった。

「法律の空洞化」という副作用

法律が細目を政令・省令に委ねること自体は、現代の立法に不可避の技術である。社会経済の複雑化に伴い、すべてを法律本文で書き切ることは現実的でなく、専門的・技術的な事項や、機動的な改定を要する事項を下位法令に委ねる委任立法は、行政国家における通常の立法様式となっている。会社法もまた、条文の肥大化を避け、実務の変化に柔軟に対応するという名目のもとで、この手法を大規模に採用した。

問題は、その委任の量と質にある。会社法施行規則は二百数十か条に及び、計算関係規則と併せれば、法律本文に匹敵する分量の「規範」が省令として存在することになった。しかも、そこに置かれた事項は、単なる書式や技術的細目にとどまらない。株主・債権者の権利義務に直接かかわる実質的な判断が、いくつも省令の側に落とし込まれている。法律を読んだだけでは制度の全体像がつかめず、省令を突き合わせて初めて規範の実像が見える――稲葉が突いたのは、この「法律の空洞化」とでも呼ぶべき現象であった。会社法という「法律」で決めるべき重要事項が、どこまで「省令」に委ねられてよいのか。境界線の不在こそが問題の核心である。

委任立法はどこで限界を迎えるか

憲法41条は、国会を「国の唯一の立法機関」と定める。国民の権利義務を左右する規範の定立は、原則として国民の代表機関である国会の専権に属する。憲法が政令への委任を予定する場面(73条6号)でも、罰則の委任には個別の法律による授権を要求しており、行政への白紙委任は許されない。委任立法が合憲であるためには、委任の目的・範囲が法律自身によって個別的・具体的に画されていなければならず、包括的・一般的な委任は立法権の放棄として違憲の疑いを免れない。

この原則は、制度の「本質的事項」ほど強く働く。国民の権利義務の根幹にかかわる重要な決定は、行政の裁量に委ねず、法律自身が定めなければならないとする考え方――講学上いう重要事項留保の発想は、委任立法の限界を測る物差しとなる。租税の領域では、憲法84条が租税法律主義を明文で掲げ、課税要件を法律で定めることを要求している。ところが会社法には、これに対応する明文の「法律主義」条項が存在しない。それゆえ、どこまでを法律で定め、どこからを省令に委ねてよいのかの歯止めは、一般的な委任立法の法理と、立案者自身の自制にしか求められない。稲葉の警告が重いのは、まさにこの歯止めの弱さを突いている点にある。

「債務の履行の見込み」という具体例

抽象論を具体に落とすのが、組織再編における「債務の履行の見込み」の扱いである。合併や会社分割は、会社の資産と負債の帰属を組み替える行為であり、債権者にとっては、自らの債権の引当てとなる財産構成が変動しうる重大事である。旧商法は、合併に際して開示すべき事項として「債務の履行の見込み」に関する記載を要求し、これは債権者保護と結びつく実質的な要請として理解されていた。履行の見込みを欠く合併が有効といえるのかは、合併の効力にかかわる論点として議論されてきた。

ところが会社法の下では、この事項は施行規則の事前開示事項――「債務の履行の見込みに関する事項」――へと位置づけ直された。そして、履行の見込みがないことは組織再編の無効事由ではなく、あくまで見込みに関する事項を開示すれば足りる、との理解が有力となった。ここで生じているのは、微妙だが決定的な転換である。「履行の見込みがあること」を求める実質的な規律から、「見込みに関する事項を開示すること」という手続的な規律への後退が、国会が法律を改正する形ではなく、省令の文言と立案者の解釈を通じて事実上達成されたのである。省令が、法律が本来担うべき債権者保護の水準を静かに書き換えたのではないか――稲葉の問いは、この一点に凝縮している。

省令立法に欠けているもの

法律であれば、その制定・改正は国会の審議を経る。委員会と本会議で議論が交わされ、議事録が残り、賛否は記名で記録され、政治的責任の所在が明確になる。国民は、誰がどの規範をどのような理由で定めたのかを、事後に検証することができる。これが議会制民主主義における立法過程の透明性である。

これに対して省令は、行政組織の内部で立案される。会社法の三省令は、法制審議会の部会審議を土台としつつも、最終的には法務省民事局の手で条文化された。パブリックコメントの手続は用意されているとはいえ、それは提出された意見に行政が応答する義務を伴わない、諮問的な性格の強い制度であり、国会審議に代わる民主的正統性を供給するものではない。すなわち省令立法には、国民代表による熟議も、記録に基づく責任追及の回路も、法律に比して決定的に希薄である。重要な実質判断がこの過程に流れ込むほど、規範は国民の統制から遠ざかる。稲葉が鳴らしたのは、この距離の拡大に対する警鐘であった。

組織再編という「資本の再配分」の現場

なぜ、組織再編が問題の焦点となるのか。合併・会社分割・株式交換・株式移転といった組織再編は、資本と事業を大規模に組み替える行為であり、そこでは債権者・少数株主といった、交渉力の弱い当事者の利益が容易に侵されうる。彼らを守る要件――債権者異議手続、開示、対価の公正、そして「履行の見込み」のような実質的歯止め――は、資本の再配分に際して設けられた制度上の防護柵にほかならない。

この防護柵を法律から省令へと移せば、規範をかたちづくる主導権は、国民代表たる国会から、省令立案に関与する行政と実務界へと移動する。組織再編を日常的に手がけ、機動的な制度運用を望む側の利害が、相対的に規範形成へ反映されやすくなる構造である。効率と柔軟性の名のもとに防護柵の位置がなし崩しに動かされれば、負担は最も声の届きにくい当事者へと転嫁される。データと法理で「資本の歪み」を正すという観点から見れば、これは単なる立法技術の問題ではない。誰の利益を、どの階層の規範で、どれだけ透明な過程を経て守るのか――資本の配分をめぐる権力の所在そのものが問われているのである。

稲葉論文が残した問い

稲葉威雄の論考は、新会社法制の門出に投げかけられた、早すぎたがゆえに聞き流されがちな警告であった。会社法の現代化は、企業実務に多くの利便をもたらした。その功績を否定する必要はない。だが、利便の対価として、法律が担うべき実質判断が省令へと静かに移し替えられ、国民の統制から遠ざかったのだとすれば、その代償は制度の見えにくい深部に蓄積していく。

問われているのは、会社法の条文が精緻かどうかではない。会社の秩序を定める規範の重心を、国会の熟議と省令の機動性のいずれに、どの程度置くのか――その配分の設計である。委任立法は現代の立法に不可欠であり、すべてを法律に書き戻せという主張は現実的でない。しかし、債権者保護の水準のように制度の本質にかかわる判断まで省令に委ねてよいのかは、なお別の問いである。省令が法律を上書きしていないか。稲葉が二十年前に突きつけたこの問いは、会社法制の運用が積み重なった今日においてこそ、改めて検証されるべき論点として残されている。