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【山中裕の経済学サロン】近代化を阻む「制度の呪縛」を暴く——メリッサ・デルが証明した歴史とガバナンスの因果関係

皆さん、こんにちは。少数株ドットコムの山中裕です。
前回は、マイクロデータでマクロの常識を覆したエミ・ナカムラ教授をご紹介しましたが、本日取り上げるのは、その翌年(2020年)にジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞したメリッサ・デル(ハーバード大学教授)です。
彼女の専門は開発経済学や政治経済学ですが、その研究手法はまさに「歴史のデータサイエンス」です。彼女は、「なぜ特定の地域や組織は、何百年経っても貧困や非効率から抜け出せないのか?」という巨大な問いに対し、何世紀も前の古文書や地理データ、さらには戦時の爆撃データなどを徹底的にデジタル化・解析することで、「過去に作られた不条理な制度(インスティテューション)が、現代にまで悪影響を及ぼし続けている」という驚くべき因果関係を証明しました。
この「一度根付いた悪しきガバナンスや制度は、合理的な変革を加えない限り数百年単位で組織を縛り続ける」というファクトは、日本の古いコーポレート・ガバナンスや司法の慣習を打破しようとしている私にとっても、極めて深い示唆を与えてくれます。
彼女の代表的な研究から、組織や市場の「不条理」を解き明かすヒントを読み解いていきましょう。
1. 「ミタの強制労働(The Persistent Effects of Peru's Mining Mita)」:数百年前の悪政が現代の成長を止める
メリッサ・デルの名を一躍世界に知らしめたのが、ペルーにおけるスペイン植民地時代の強制鉱山労働制度「ミタ(Mita)」に関する研究です。
1573年から1812年にかけて、スペイン入植者はポトシ銀山などの過酷な労働力を確保するため、特定の地域(ミタ地域)の先住民に強制労働を課しました。
デル教授は、この「ミタが課された地域の境界線」に注目し、当時の境界線をまたいだ両側の地域が、現代(2000年代)においてどうなっているかを地理データや家計調査を用いて比較しました。その結果は衝撃的なものでした。
境界線を挟んだ格差:当時、強制労働の対象だった地域は、対象外だったすぐ隣の地域に比べて、現代でも家計消費が約32%低く、子供の発育阻害率(スタンティング)が明らかに高いことが判明しました。
なぜ悪影響が「数百年」も続くのか?:ミタ地域では、強制労働による住民の逃亡を防ぐため、あるいはインフラ投資が敬遠されたため、道路網が整備されず、自給自足的な農業のまま固定化されてしまいました。結果として、市場へのアクセスや教育機会という「制度的・インフラ的基盤」が破壊された状態が、制度廃止から200年経った今もなお、地域を縛り続けていたのです。
これは、日本の企業経営やガバナンスにも全く同じことが言えます。不合理な「古い慣行」や「前例主義」という名の悪しき制度は、一度組織の骨組み(インフラ)になってしまうと、トップが代わろうが時代が変わろうが、自動的に組織のパフォーマンスを削り続けます。表面的な改革(「若手を登用する」「DXを推進する」など)でお茶を濁しても、根底にある「制度の歪み」を外科手術的に取り除かなければ、数十年単位で競争力を失い続けるのです。
2. 「ベトナム戦争における統治戦略の比較」:トップダウンの強制は「信頼」を破壊する
もう一つ、彼女の圧倒的なデータ分析力が光るのが、ベトナム戦争におけるアメリカ軍の戦略を検証した研究です。
当時、米軍は軍事戦略の評価のために、ベトナム全土の村の治安状況や同情度を数値化した膨大なデータ(HESデータ)を記録していました。デル教授らはこのデータを用い、米軍による「圧倒的な火力による爆撃やトップダウンの制圧」と、南ベトナム政府や他国による「対反乱作戦(住民の懐柔や地域社会の構築)」のどちらが有効だったかを検証しました。
結果、米軍の強力な軍事介入(爆撃など)が行われた地域では、かえって共産主義(ベトコン)への支持や活動が強まり、地域社会の結束や政府への信頼が崩壊したことがデータで実証されました。力による強制は、長期的にはガバナンスを完全に破綻させるという一例です。
組織を統治(ガバナンス)する際、単に「ルールや権力で押さえつける(トップダウンの強制)」だけでは、内部のエンゲージメントを破壊し、かえって「隠蔽」や「サボタージュ」といった逆効果を生みます。重要なのは、ステークホルダー全員が納得できる「合理的なインセンティブの設計」と「透明なプロセス」です。データに基づかない感情的な強制がいかに無価値であるかを、この研究は教えてくれています。
結び:前例という「過去の呪縛」をロジックで断ち切る
メリッサ・デル教授の研究が私たちに突きつけるのは、「私たちは、自分が思っている以上に『過去に作られた制度や慣習』に支配されている」という冷徹な現実です。
日本市場における低PBR(株価純資産倍率)の放置、非効率な親子上場、株主軽視の経営判断、そしてそれらを「ヨシ」としてしまう司法の硬直性——これらはすべて、昭和から平成にかけて作られた「日本型経営・司法」という、現代の経済合理性から乖離した"ミタ(強制労働制度)"のような古い制度の呪縛です。
歴史をデータで科学したデル教授のように、私たちも「昔からこうだから」「これが業界の常識だから」という前例主義を徹底的に疑わなければなりません。
過去の不条理な因果関係をデータとロジックで白日の下に晒し、現代に即した効率的なガバナンスへとアップデートする。それこそが、市場の歪みを正し、日本経済全体の価値を最大化する唯一の道だと確信しています。
プロフィール
山中 裕(Yutaka Yamanaka)
少数株ドットコム株式会社 創業者・代表取締役会長。東京大学経済学部総代卒業、コロンビア大学大学院(金融工学)修了。アクティビスト投資家として、日本のコーポレート・ガバナンス改革と資本効率の向上を提唱。