共同で生み出した価値は、誰に帰属するのか――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第11章「終わりの始まり」

二人以上が力を合わせて生み出した成果について、それぞれの貢献を正確に切り分けることはできるのだろうか。
研究の共同作業でも、企業の経営でも、成果は複数の参加者の協力から生まれる。しかし、その成果に対する評価や報酬は、しばしば一部の参加者に偏って帰属する。偏りが生まれるのは、貢献の測定が困難だからであり、測定できない部分は、名声や印象、交渉力によって埋められるからである。
同書の第11章は、カーネマンとトヴェルスキーの共同研究に、功績の帰属をめぐる亀裂が生じていく過程を描いている。本稿では、第11章の記述を確認したうえで、共同生産と成果の配分をめぐる経済学の議論を整理し、非上場株式をめぐる「公正な価格」の問題を、価値の帰属という観点から検討する。
問題の所在――貢献が測れないとき、配分は何で決まるのか
成果への貢献が個別に測定できるなら、配分は貢献に応じて行えばよい。しかし、共同作業の成果は、多くの場合、参加者の協力が不可分に結びついて生まれる。一人ひとりの貢献を足し合わせても、成果の全体にはならない。
このとき、配分は貢献そのものではなく、誰がより目立つか、誰がより強い交渉上の立場にあるかによって決まりやすい。その結果、成果を生み出した参加者の一部が、正当な評価を受けられないという問題が生じる。
原著の記述――離れていく二人と、功績の偏り
第11章の舞台は、もはやエルサレムではない。カーネマンはバンクーバーの大学へ、トヴェルスキーはカリフォルニアの大学へと移り、二人の間には国境と千数百キロの距離が横たわっていた。
この時期のカーネマンが取り組んでいたのは、人が起きてしまった出来事を、別の展開を想像することによって心の中で「取り消そう」とする思考の研究であった。原題の「アンドゥーイング(取り消し)」という言葉は、この研究テーマから採られている。トヴェルスキーもこのテーマには乗り気で、研究にふさわしい名前をあれこれ提案していたことが記されている。
しかし、二人の関係には、功績をめぐる緊張が広がっていた。共同研究への評価は、次第にトヴェルスキーに集中するようになり、カーネマンは自らの存在が見えにくくなっていると感じていた。
原著が描く一つの場面がある。ミシガン大学でカーネマンが「取り消し」について話した後のことである。その場にいた同大学の重鎮クライド・クームズは、二人に向かって、この発想はどちらのものかと問いかけた。返ってきたのは、そういう区別は自分たちの間ではしない、というトヴェルスキーの言葉だった。カーネマンの貢献を明らかにする機会は、こうして見送られた。トヴェルスキーにとって、功績の問題は周囲が作り出した些末なことにすぎなかったが、カーネマンにとってはそうではなかった。
同じころ、二人一組で成果を上げる人々の関係を研究していたハーバードの精神科医マイルズ・ショアが、二人から話を聞いている。ショアの調査対象となった20組の中で、自分たちの関係の難しさを隠さずに打ち明けたのは、この二人の組み合わせだけだったという。
功績を認めなかったトヴェルスキーと、不満を直接口にしなかったカーネマン。原著は、判断と意思決定の第一人者であった二人が、自らの関係については最善の判断を下せなかったという皮肉を描いている。
研究の整理――共同生産、貢献の帰属、反実仮想
以下では原著から離れ、第11章が提起する問題を、三つの研究の流れから確認する。
・共同生産の経済学:1972年、アーメン・アルチャンとハロルド・デムセッツは、チームによる生産では個々のメンバーの貢献を区別して測ることが難しく、そのために怠業や過小評価の問題が生じることを論じた(『アメリカン・エコノミック・レビュー』)。企業という組織の存在理由を、この測定の困難から説明しようとした古典的な論文である。
・貢献の公正な配分:1953年、ロイド・シャプレーは、協力によって生まれた価値を参加者に配分する方法として、各参加者が協力に加わることで生じる価値の増分を平均して求める考え方を示した。のちに「シャプレー値」と呼ばれるこの方法は、貢献が不可分に結びついた成果を公正に配分するための理論的な基準とされる。
・評価の偏り:2017年、経済学者ヘザー・サーソンズは、経済学の共著論文について、著者の属性によって昇進の際に与えられる評価が異なることを実証した(『アメリカン・エコノミック・レビュー』)。共同の成果に対する評価は、貢献の実態ではなく、評価者の認識の偏りによって左右されうる。
・反実仮想と責任の判断:カーネマンが取り組んだ「取り消し」の研究は、1986年のデール・ミラーとの「規範理論」として結実した。同じ年、ミラーとキャシー・マクファーランドは、同じ被害であっても、それが通常とは異なる状況で生じた場合のほうが、人々は被害者により多くの補償を認めることを示した。別の展開を想像しやすいほど、出来事は「起こるべきではなかったこと」として受け止められるのである。
評価――配分の公正は、測定と手続きの問題である
第11章が描く二人の関係の破綻は、個人の人柄の問題として読むこともできる。しかし、上記の研究を踏まえれば、それは共同生産に内在する構造的な問題の一例として理解することができる。
ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論の枠組みでは、参加者は自らの貢献に見合う配分を求めて交渉し、合意に至ると想定される。しかし、アルチャンとデムセッツが指摘したように、貢献が測定できなければ、交渉の基準そのものが失われる。そして、基準のない場所では、配分は名声や印象、立場の強さによって決まる。
この問題への対応は、二つの方向にある。一つは、シャプレー値のように、貢献を推定するための明示的な基準を用いること。もう一つは、配分の過程に、評価の偏りが入り込みにくい手続きを設けることである。いずれも、当事者の善意や関係性に委ねるのではなく、配分の基準と過程を外部から検証できる形にすることを意味している。
含意――少数株主に帰属する価値をどう測るか
非上場株式をめぐる争いの多くは、企業が生み出した価値を、株主の間でどのように配分するかという問題に帰着する。
企業の価値は、経営者、支配株主、少数株主、従業員など、多くの参加者の協力によって生み出される。少数株主は、資本を提供し、そのリスクを負担してきた参加者である。しかし、企業の成果は、しばしば経営者や支配株主の功績として語られ、少数株主の貢献は見えにくい。この構図は、第11章で描かれた功績の偏りと同じ構造を持っている。
とりわけ、組織再編や少数株主の締め出しの場面では、取引によって生じる価値の増加分を、少数株主にどう配分するかが問題となる。会社法の議論においても、この増加分の分配は、「公正な価格」をめぐる重要な論点とされてきた。取引を主導する側が、価値の増加を自らの功績として扱えば、少数株主への配分は過小になりやすい。
この問題に対しては、次のような方向が考えられる。
・企業価値の評価にあたり、取引によって生じる価値の増加分と、取引がなかった場合の価値とを区別して示すこと
・価値の増加分の配分について、どのような基準に基づいて少数株主への配分を定めたのかを明示すること
・取引を主導する側とは独立した立場から、配分の妥当性を検証する手続きを設けること
・少数株主が、配分の基準と過程について説明を求め、異議を述べる機会を確保すること
共同で生み出した価値の配分を、立場の強さや印象に委ねてはならない。配分の基準と過程を明らかにすることが、少数株主に帰属すべき価値を守る前提となる。
次回は第12章を取り上げ、二人の研究に向けられた批判と、そこから生まれた論争の作法を手がかりに、対立する評価をどのように事実の検証へと導くべきかを検討する。
貢献が測れないとき、配分は力関係で決まる。基準と過程を明らかにすることが、見えにくい貢献を守る唯一の方法である。
※原著の記述に関する部分は、原著の目次、出版社による内容紹介、公開されている書評・要約などに基づく。
関連URL・参考資料
・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836
・SuperSummary「The Undoing Project: Chapter 11 Summary」
https://supersummary.com/the-undoing-project/chapter-11
・Armen A. Alchian, Harold Demsetz「Production, Information Costs, and Economic Organization」(American Economic Review、1972年)
・Lloyd S. Shapley「A Value for n-Person Games」(『Contributions to the Theory of Games II』Princeton University Press、1953年)
・Heather Sarsons「Recognition for Group Work: Gender Differences in Academia」(American Economic Review、2017年)
・Daniel Kahneman, Dale T. Miller「Norm theory: Comparing reality to its alternatives」(Psychological Review、1986年)
・Dale T. Miller, Cathy McFarland「Counterfactual thinking and victim compensation: A test of norm theory」(Personality and Social Psychology Bulletin、1986年)