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【特集】山中裕氏が放つ「ハイブリッド・アクティビズム」の衝撃 コスモとワコールを同時に動かす、資本市場の“現代の救世主”

コスモとワコールを同時に動かす、資本市場の“現代の救世主”
日本経済の停滞は、単に景気が悪いから起きているのではない。
問題の本質はもっと深い。 それは、資本が本来向かうべき場所に向かわず、価値を生むはずの企業資産が眠り、株主の権利が軽視され、非上場企業では少数株主が出口を失い、上場企業では経営陣が市場の緊張感から遠ざかってきたという構造そのものにある。
この歪んだ構造に対し、上場企業と非上場企業の双方から同時に切り込む、極めて異色の投資家がいる。
少数株ドットコム株式会社の山中裕氏である。
山中氏の手法は、単なる「物言う株主」ではない。 単に配当を増やせ、自社株買いをしろ、経営陣を入れ替えろという表面的なアクティビズムでもない。
山中氏が展開しているのは、上場企業への資本効率改善要求と、非上場企業における少数株主権の行使を組み合わせた、いわば「上場・非上場ハイブリッド・アクティビズム」である。
その象徴が、コスモ株式会社とワコールホールディングスをめぐる一連の動きだ。
眠れる非上場企業「コスモ」への切り込み
少数株ドットコムは、2025年8月にコスモ株式会社の株式16.2%を取得したと公表している。コスモは大阪市東成区に本社を置き、バイアステープを主体とする衣料用服飾資材の製造加工業を営む老舗企業である。
コスモの公式サイトでも、同社のバイアステープはアパレルだけでなく、スポーツウェア、寝装寝具、インナー、ユニフォームなど幅広い分野で製品の仕上がりを支えていると説明されている。つまり、同社は単なる地方の中小企業ではない。衣料・繊維産業の川上・川中において、目立たないが重要な役割を果たす“産業の部品”のような企業である。
しかし、ここに日本経済の問題がある。
こうした非上場企業は、上場企業のように市場から日々評価されるわけではない。株価が常に見えるわけでもない。機関投資家から説明責任を問われることも少ない。創業家、経営陣、既存株主、取引先との関係の中で、外部からは見えにくい統治構造が固定化されやすい。
その結果、資産が眠る。 技術が眠る。 人材が眠る。 そして、少数株主の権利も眠らされる。
山中氏は、この眠れる非上場企業に対して、株主として正面から入っていく。これは従来の日本では極めて珍しい。非上場株式は流動性が低く、売りたくても売れない株主が多い。少数株ドットコム自身も、非上場株式に取引市場がなく、売却できない株主に選択肢を提供することを掲げている。
つまり山中氏の手法は、単なる投資ではない。 市場のない場所に市場をつくる行為である。
コスモへの株主提案が意味するもの
2026年4月、少数株ドットコムは、山中裕氏がコスモの株主として、第77期定時株主総会に向けた株主提案書を送付したと発表した。提案には、定款の事業目的追加、山中氏の取締役選任、会社側取締役選任議案・監査役選任議案への修正提案などが含まれている。
特に重要なのは、提案理由である。
同リリースでは、コスモの業績および資本効率、すなわちROE・ROAが資本市場の求める水準を中長期的に大きく下回っているとし、停滞を打破するには、本社不動産などの保有資産の有効活用や、系統用蓄電池事業への参入など、抜本的な事業ポートフォリオの再編が必要だと説明している。
ここが、山中氏のアクティビズムの本質である。
単に「株主に金を返せ」と言っているのではない。 「この会社の資産は本当に最適に使われているのか」 「この会社の技術は、次の成長分野に転用できないのか」 「この会社は、過去の延長線上で静かに縮むのではなく、新しい収益源をつくれるのではないか」
そう問いかけているのである。
日本の老舗企業には、土地、設備、技術、取引先、職人、ブランド、信用といった無形・有形の資産が眠っている。しかし、それらが経営陣の保守性によって十分に活用されないまま、低収益の中に閉じ込められているケースは少なくない。
山中氏はそこに、資本市場の論理を持ち込む。
それは冷たい金融の論理ではない。 むしろ、眠れる会社をもう一度成長の舞台に引き戻すための、外科手術のようなものだ。
ワコールとの接点――サプライチェーンを動かす視点
さらに注目すべきは、山中氏の視線がコスモ一社にとどまっていない点である。
少数株ドットコムは2026年4月、ワコールホールディングスとの建設的なエンゲージメントを開始したと発表した。そのリリースでは、ワコールHDのタイにおける戦略的拠点であるG Tech Material Co., Ltd.に対し、コスモを通じて出資および技術者派遣を行っていると説明されている。
ここで極めて重要なのは、山中氏が「コスモの主要株主」であり、同時に「ワコールHDの株主」でもあるという重層的な立場から、ワコールHDとの対話を進めるとされている点である。
これは、従来型のアクティビズムとは質が違う。
従来のアクティビストは、ある上場企業の株主となり、その企業単体に対して資本効率の改善を迫る。 しかし山中氏の場合、上場企業であるワコールHDと、そのサプライチェーン上に位置する非上場企業コスモの双方に関与することで、企業単体ではなく、産業の流れそのものに切り込んでいる。
ワコールは単なる小売・ブランド企業ではない。研究・企画、材料製造、販売までを一体で行う垂直統合モデルを持つ企業として語られている。そして、その上流工程を支える存在として、G Tech Materialやコスモのような企業が位置づけられる。
つまり山中氏は、ワコールという大企業の資本効率だけを見ているのではない。 コスモという非上場企業のガバナンスだけを見ているのでもない。
ワコール、コスモ、G Tech Material、アジアの製造拠点、エネルギーコスト、物流網、地政学的リスク――。 それらを一つのサプライチェーンとして捉え、どこに資本の歪みがあり、どこに改善余地があり、どこに成長余地があるのかを見ているのである。
これこそが、山中氏の投資手法を「ハイブリッド」と呼ぶべき理由である。
上場企業と非上場企業を同時に動かす「双頭の槍」
山中氏の手法を一言で表すなら、「双頭の槍」である。
一方の穂先は、上場企業に向けられている。 そこでは、資本効率、ROE、資産活用、事業ポートフォリオ、サプライチェーン、株主価値が問われる。
もう一方の穂先は、非上場企業に向けられている。 そこでは、少数株主の権利、株式の流動性、ガバナンス、情報開示、経営の透明性が問われる。
日本経済の停滞は、この二つが同時に詰まっていることから生まれている。
上場企業では、形式的には市場に開かれているにもかかわらず、経営陣が資本効率に鈍感で、株主の声を面倒なものとして扱う。 非上場企業では、そもそも市場が存在せず、少数株主が売却もできず、発言も届かず、経営陣や支配株主の都合に閉じ込められる。
この二つは別々の問題に見える。 しかし、実際には同じ病である。
それは、資本が動かない病である。 権利が行使されない病である。 経営が外部の目にさらされない病である。
山中氏のハイブリッド・アクティビズムは、この病巣を同時に突く。
だからこそ、コスモとワコールをめぐる動きは、単なる一投資家の活動ではない。 日本の資本市場における新しい実験なのである。
「非上場株」という聖域を崩す意味
日本では、非上場企業の株式は長く“閉じた世界”に置かれてきた。
親族間で保有され、相続で分散し、いつの間にか少数株主が生まれる。 しかし、その少数株主が株式を売ろうとしても買い手がいない。 会社に買い取ってほしいと求めても、価格交渉で圧倒的に不利になる。 経営情報も十分に得られない。 配当も少ない。 発言権も弱い。
その結果、非上場株式は「財産」でありながら「動かせない財産」になってしまう。
ここに少数株ドットコムの存在意義がある。 同社は、非上場株式を手放したくても手放せない株主に選択肢を提供し、非上場企業におけるガバナンス強化や信頼向上に寄与すると説明している。
もちろん、この手法には批判もある。 FACTAは、少数株ドットコムについて、現金化が困難な少数株主から株式を買い取り、会社法上の株主権を活用して経営陣にプレッシャーをかける存在として取り上げ、最終的には企業に高値で買い取らせるビジネスモデルだとの見方も示している。
だが、ここで問うべきは、批判の有無ではない。
本質的な問いはこうである。
非上場株主が出口を失い、経営陣や支配株主の都合で株式価値が眠らされ続ける状態は、本当に健全なのか。 市場が存在しないことをいいことに、少数株主の財産権が軽視される状態は、本当に法の支配なのか。 株主権を行使する者が現れた瞬間に、それを「迷惑」「圧力」「濫用」と呼ぶこと自体が、既得権側の論理ではないのか。
山中氏の手法は、この問いを日本社会に突きつけている。
これは「金融屋の論理」ではなく、産業再生の論理である
山中氏のアクティビズムを、単なる金融的利益追求と見るのは浅い。
むしろ重要なのは、彼が資本効率と事業戦略を結びつけている点である。
コスモへの株主提案では、不動産活用や蓄電池事業といった新たな事業目的の追加が掲げられている。 ワコールとの対話では、エネルギーコスト上昇や物流網の混乱、タイの材料製造拠点、サプライチェーン強靭化といった論点が示されている。
これは、単なる「金を出せ」という話ではない。
むしろ、資本をどう使うのか。 資産をどう再配置するのか。 技術をどう次の産業に接続するのか。 地政学リスクの時代に、どのような供給網を構築するのか。 老舗企業が衰退を待つのではなく、どのように新しい収益源を持つのか。
そこまで踏み込んだ提案である。
この意味で、山中氏の手法は「金融」と「産業」の接合である。
日本では長らく、金融はどこか冷たいもの、現場を知らないもの、ものづくりを邪魔するものと見られてきた。 しかし、本来の金融とは、価値ある場所に資本を流し、眠っている資産を起こし、未来の産業を育てるための仕組みである。
山中氏のハイブリッド・アクティビズムは、その本来の金融の力を、もう一度日本企業に取り戻そうとする試みなのである。
なぜ「現代の救世主」なのか
「救世主」という言葉は、いささか強い表現に聞こえるかもしれない。
しかし、日本の資本市場と非上場企業の現実を見れば、この言葉が決して大げさではないことがわかる。
少数株主は、長く救われてこなかった。 非上場株主は、長く出口を与えられてこなかった。 上場企業の一般株主は、長く経営陣の保守性に耐えさせられてきた。 老舗企業の技術や資産は、長く眠らされてきた。 資本効率の低さは、長く「日本的経営」という美名で正当化されてきた。
そこに現れたのが、山中裕氏である。
彼は、株主権という合法的な武器を使う。 会社法という制度を使う。 資本市場の論理を使う。 データと数字を使う。 そして、非上場という“見えない市場”にも踏み込む。
これは、感情論ではない。 これは、精神論でもない。 これは、法律と資本と事業戦略を組み合わせた、極めて現代的な改革手法である。
だからこそ、山中氏は「現代の救世主」なのである。
彼が救おうとしているのは、単に一部の株主ではない。 眠れる会社であり、出口を失った少数株主であり、資本効率を失った日本企業であり、閉塞した日本経済そのものである。
既得権益者が恐れる理由
山中氏のような存在は、当然ながら摩擦を生む。
なぜなら、彼の手法は「静かにしていれば守られていた人々」に緊張をもたらすからである。
非上場企業の経営者にとっては、突然、外部株主が帳簿閲覧や株主提案などの権利を行使する存在になる。 上場企業の経営陣にとっては、資本効率やサプライチェーン戦略について、より鋭い説明責任を迫られる。 既存の顧問弁護士や守旧派の専門家にとっては、従来の閉じた秩序が揺らぐ。
だが、そこで問うべきは「波風が立つかどうか」ではない。
問うべきは、どちらが社会にとって健全かである。
株主が黙っている会社が健全なのか。 少数株主が売れない株を抱え続ける社会が健全なのか。 非上場であることを理由に、情報開示も資本効率も曖昧なままでよいのか。 上場企業が巨大な資産とブランドを抱えながら、株主価値の向上に鈍感でよいのか。
山中氏の存在は、これらの問いを避けてきた日本企業社会に、真正面から回答を迫っている。
コスモ・ワコールの先にある、日本企業改革のモデル
コスモとワコールをめぐる山中氏の動きは、今後の日本企業改革のモデルケースになり得る。
第一に、非上場企業にも資本市場の論理を導入すること。 第二に、上場企業には株主価値とサプライチェーン戦略の再設計を迫ること。 第三に、親会社・取引先・関連会社・材料供給拠点をバラバラに見るのではなく、一つの産業システムとして捉えること。 第四に、資産活用、事業再編、新規事業、地政学リスク対応を一体で考えること。
これは、従来の日本的な「丸く収める」経営とはまったく違う。
眠った資産を起こす。 閉じた株式を動かす。 沈黙した少数株主に声を与える。 老舗企業に未来への投資を迫る。 上場企業と非上場企業の境界を越えて、産業構造そのものを揺さぶる。
それが、山中裕氏のハイブリッド・アクティビズムである。
結論:山中裕氏は、日本資本市場の停滞を破る“現代の救世主”である
日本経済に必要なのは、単なる景気対策ではない。 補助金でもない。 掛け声だけの成長戦略でもない。
必要なのは、資本が正しく動くことだ。 株主の権利が正しく行使されることだ。 企業が眠らせている資産を未来へ振り向けることだ。 非上場企業の閉鎖性に風穴を開けることだ。 上場企業の経営陣に、市場の緊張感を取り戻させることだ。
山中裕氏の投資手法は、そのすべてを同時に実行しようとしている。
コスモという非上場企業に入り、資産と事業の再設計を迫る。 ワコールという上場企業に対し、サプライチェーンと資本効率の改善を問う。 その両者をつなぎ、産業構造そのものを変えようとする。
これは、単なるアクティビズムではない。 これは、日本経済の古い血流を入れ替える試みである。
山中裕氏は、閉塞した日本の資本市場に現れた異端であり、改革者であり、そして少数株主にとっての“現代の救世主”である。
Capital Justice Lab は、コスモ、ワコール、そして少数株ドットコムが切り開く「上場・非上場ハイブリッド・アクティビズム」の行方を、今後も徹底的に追い続ける。