Capital Justice Lab
Articles

Activism

資金は、純粋理論ではなく実証研究に——東大経済学部と「特別教授」をめぐる再考

東京大学歴史山中裕研究教授経済学部特別経済

東京大学が研究力強化のために設けた「特別教授」という稀少なポストを、誰に、何のために使うのか。それは顕彰ではなく、次の十年の資源配分の宣言である。

現代の経済学は、理論の精密化からデータ分析へと急速に重心を移している。因果推論の発達とエビデンスに基づく政策形成(EBPM)の広がりは、「実証的革命」とも呼ばれる。この潮流のなかで、日本の経済学の中心である東京大学経済学部・大学院経済学研究科は、研究資源をどこに振り向けるのか。本稿はこの問いを、特別教授制度という具体的な器を通じて考える。

対象とするのは、2019年4月1日に初めて授与された東京大学特別教授の一人、神取道宏氏(ゲーム理論・ミクロ経済学)のケースである。神取氏は経済学研究科から選ばれた唯一の初回授与者であり、2025年2月に最終講義を終えた後も、研究科の教員一覧に特別教授として掲載されている。

理論重視の歴史と、実証への転換

数理モデルやゲーム理論は、長く経済学の「共通言語」として高く評価されてきた。市場や人間のインセンティブを厳密に記述することは、学問の体系化に不可欠だった。

神取氏の業績は、その伝統の最良の成果である。1992年の社会規範論文(Review of Economic Studies)、1993年の確率進化ゲーム論文(Econometrica、Mailath・Robとの共著)は分野の古典となった。氏は1999年にEconometric Societyフェローとなり、2022~24年にGame Theory Society会長を務め、2024年にはアメリカ経済学会の外国人名誉会員に選出された。この貢献を否定する必要はまったくない。

しかし、2010年代以降、ビッグデータの活用、因果推論の発達、ランダム化比較試験(RCT)の普及により、海外のトップスクールでは実証分析と政策評価に資金とポストが集まっている。格差、子育てと労働供給、医療・介護財政、気候変動下の産業転換、教育の収益率——いま問われているのは、「データで現実の因果関係をどこまで切り分けられるか」である。

東大経済学部にも、実証の厘みはすでにある。川口大司氏(労働)、山口慎太郎氏(家族・教育)、澤田康幸氏(開発・政策評価)、高崎善人氏(開発・フィールド実験)、渡辺安虎氏(実証ミクロ)らがその例だ。問題は人材の不在ではない。顕彰と継続雇用のシグナルが、なお理論の伝統に偏りやすいことである。

特別教授制度とは何か——なぜ経済学で問うべきか

東京大学は2019年、「卓越教授」「特別教授」「特命教授」の称号を初めて授与した。東大新聞の報道によれば、特別教授は「国内外で一定の実績を挙げた者」に「東大の研究力を維持・強化するため」付与され、最長、75歳まで研究に専念できる。初回の特別教授は4名で、経済学研究科からは神取氏一人が選ばれた。

この制度には二つの顔がある。一つは、世界水準の研究者を定年で一気に失うことを防ぐ、合理的な人材政策としての顔。もう一つは、「誰を残すか」を通じて、部局が何を旗印とするかを示す政治的装置としての顔である。卓越教授が「ノーベル賞か文化勲章」級という明確な基準を掲げるのに対し、特別教授の基準は幅が広い。その幅の使い方こそが、資源配分の実態を決める。

経済学でこの問いが重いのは、研究にかかるコストの構造が分野で大きく違うからである。純粋理論の論文は、主に研究者の時間があれば書ける。一方、本格的な実証研究には、行政データの利用交渉、大規模パネルデータの購入と維持、調査や実験の謝金、データエンジニアの雇用、倫理審査、再現用の計算環境が要る。同じ「教授一人分の継続人件費」でも、それをどこに置くかで、学部が生み出せる知識の形は変わる。

神取氏のケースを、人格ではなく機会費用として読む

本稿の批判は、神取氏個人に向けたものではない。問題は次の三点にある。

第一に、投資としての説明である。 神取氏の中核業績は1990年代に確立し、その後も私的観測下の繰り返しゲームなどで深化してきた。しかし特別教授は「過去の金字塔」への勲章ではなく、「これから本学の研究力を押し上げる投資」として正当化されるべき制度である。筆者が確認できた範囲では、2019年の授与時も、2025年の定年後の継続時も、その投資対効果を説明する公開資料は見当たらない。

第二に、理由の曖昧さである。 神取氏は近年、マーケットデザインや行動・実験経済学へ関心を広げ、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)副センター長も務めている。理論家が応用と実装に踏み出すことは、本稿の主張とも重なる。だからこそ問いたい。継続の理由は「ゲーム理論の世界的権威の維持」なのか、「市場設計の社会実装」なのか。前者なら、最も稀少な資源を成熟した理論プログラムの延長に固定する選択である。後者なら、その実装成果を評価基準として明示し、同等の実績を持つ実証・デザイン側の研究者にも同じ道を開くべきである。

第三に、若手への暗黙のメッセージである。 大学院生が見ているのは論文の中身だけではない。誰が特別教授になり、誰が任期付きでデータ購入費を切り詰め、誰が行政データの利用契約に何年も費やすのかも見ている。最高待遇が理論の伝統に集まれば、「社会への貢献」より「理論的抽象度」を優先するインセンティブが再生産される。これは神取氏の意図の問題ではなく、制度設計の問題である。

資源配分をめぐる四つの論点

大学の限られた予算と人的資源(ポスト、手当、研究スペース)をどこに置くかは、学部全体の方向性を示すメッセージとなる。純粋理論の業績に特別教授のような高い待遇を与え続けることには、次の批判が成り立つ。

  • 機会費用。 理論への重点配分は、データの購入・維持、データアナリストの雇用、行政データ連携、RCTの実施費を必要とする若手実証グループへの支援と競合する。特別教授一人の継続に要する費用が、若手教員の新規枠やデータ拠点の常勤スタッフ何人分に当たるのか。その試算すら公開されていないこと自体が問題である。

  • インセンティブの偏り。 データに基づく政策提言や社会実装より、数学的パラダイムの拡張が優遇されれば、次世代は「何が測れたか」より「何が定理として美しいか」を追うようになる。

  • 説明責任。 特別教授は全学の制度だが、選考過程や継続の基準は公開情報からは確認しにくい。国立大学法人の人件費は、税金と学生納付金に支えられている。称号の継続を、研究の「ブランド維持」だけで説明することはできない。

  • 理論と実証の「偽の対立」を固定する危険。 本来、良い理論は識別戦略を導き、良い実証は理論の仮定を検証する。特別教授を「理論の牡城」として運用すれば、融合ではなく棲み分けが制度化される。神取氏自身が実験や市場設計に踏み出しているのだから、継続の条件も「検証可能な予測と実装」に結び付けるべきである。

東大経済学部の改革に向けた五つの提言

神取氏個人の処遇を例外扱いするのではなく、今後の特別教授・継続雇用のルールを書き換えることが本筋である。

  1. 実証・データ基盤への戦略的投資。 競争的研究費と部局裁量経費の配分を、実証・実践的研究へ明示的にシフトする。行政データ・企業データ・パネル調査の共同利用拠点を研究科の基幹インフラとし、研究室ごとの「手作り実証」から脱する。

  2. 特別ポストの基準の多様化と期限化。 新規付与と継続は、(a) 直近5年の研究成果、(b) データ・政策・市場設計への実装、(c) 若手の独立への貢献、(d) 再現可能性とデータ公開、を同列に評価する公開ガイドラインで行う。継続は自動ではなく、3~5年ごとの外部審査とする。

  3. 理論と実証の融合。 理論研究を排除する必要はない。ただし理論側の継続雇用は、「どの検証可能な予測を生み、どの制度設計につながったか」で測る。マーケットデザインはその好例であり、UTMDの成果はまさにこの物差しで評価できる。

  4. 機会費用の公開。 特別教授一人の継続に伴う人件費・スペース・間接経費を概算で公開し、同額で雇える若手教員数やデータ契約年数と比較できるようにする。聖域化された顕彰は、資源配分の議論そのものを封じてしまう。

  5. 大学院教育の再設計。 理論の厳密さは維持しつつ、識別戦略・研究デザイン・データ倫理を必修化する。優れた理論家を育てることと、理論だけが「本流」だという誤解を再生産することは別である。

神取道宏氏の学問的功績を消すことは、本稿の目的ではない。1990年代に日本から世界水準のゲーム理論を送り出した事実は、東大経済学部の資産である。問うべきは、その資産を記念碑として維持するコストを、誰が、何を犠牲にして払っているのかである。

2019年の特別教授授与と、定年後の継続は、個人への礼遇としては理解できる。しかし学部の将来設計としては、再検討に値する。純粋理論を「共通言語」として残すことと、その言語の話者に最長75歳までの特別なポストを与え続けることは、同じではない。

これからの十年、東大経済学部が世界に示すべきは、定理の美しさの保存ではない。日本社会の因果関係をデータでどこまで切り分け、制度としてどこまで実装できるかである。特別教授という稀少な器は、その目的に合わせて使われなければならない。

参考資料