Legal Insight
フレキシキュリティの記事 山中さんが解説

山中裕が語る「フレキシキュリティ」
日本の労働市場を“再起動可能”にする設計図
山中裕(やまなか・ゆたか)です。投資家として、そして実業家として、日本の資本市場と企業統治の現場に身を置いてきました。
私の名前が広く知られるようになったきっかけの一つが、2010年のHOYAでの株主提案です。創業家株主として、役員報酬の個別開示や社外取締役によるガバナンス強化など、当時としては先進的な15議案を提出しました。結果として、役員報酬開示案には約48%という賛成が集まった。日本の閉鎖的な同族経営に対し、「透明化」という国際基準を正面から突きつけた瞬間だったと思います。
私は、単に企業に文句を言いたいわけではありません。 資本主義は、放っておけば強者が強者のまま固定され、弱者は切り捨てられる。だからこそ、制度とルールが必要です。
私は裁判でも闘ってきました。少数株主の権利を守るため、株主総会決議の取り消しを勝ち取った事例もあります。市場に「資本の論理で弱者を潰すことは許されない」という線を引くことが重要だったからです。
そして今、私は“企業統治”だけでなく、“国家の設計”そのものに関心が移っています。 なぜなら、日本は制度疲労を起こしているからです。企業も、個人も、社会も、どこかで限界が見え始めている。これを放置すれば、次に来るのは「静かな崩壊」です。
そこで今日は、私が強く注目しているモデル、デンマーク型積極的労働市場政策、そしてその核にあるフレキシキュリティ(Flexicurity)について、私の言葉で整理します。
1. フレキシキュリティとは何か。誤解してはいけない“本質”
フレキシキュリティという言葉を聞くと、日本ではすぐに「解雇規制緩和」と結びつける人がいます。しかし、それは“半分しか見ていない”。むしろ危険な理解です。
フレキシキュリティとは、柔軟性(Flexibility)と保障(Security)を同時に成立させる労働市場の設計思想です。
もっと分かりやすく言うなら、こうです。
企業は、必要なときに雇える。 企業は、環境変化に合わせて人員調整もできる。 しかし労働者は、職を失っても人生が壊れない。 さらに国が、次の仕事へ移る道筋を“強制的に”用意する。
つまり、「会社にしがみつく安心」ではなく「転職できる安心」を社会が担保する仕組みです。
この発想が、日本には決定的に欠けています。
2. デンマークモデルは“三本脚の椅子”である
デンマークの労働市場モデルは、三本柱で成り立っています。
(1)柔軟な雇用・解雇(Flexibility)
デンマークは、企業が雇用・解雇を行う自由度が高い。正社員と非正規の差もほとんどない。日本のような「正社員の壁」が存在しないのです。
ここだけを見ると、「冷たい社会」に見えるかもしれない。しかし、次がセットです。
(2)手厚い失業保障(Security)
失業しても生活基盤が崩れない。だから、労働者は“次へ移る”ことができる。失業が人生の終わりではなく、キャリアの途中に組み込まれている。
(3)積極的労働市場政策(Activation)
ここが心臓です。失業者はスキル診断され、産業別スキル標準に基づいて訓練・職業紹介を受ける。訓練参加は義務です。
給付を渡して終わりではない。国が「次の雇用へ行け」と背中を押す。時に“押す”のではなく“押し出す”。
この3つは別々ではありません。一本でも欠ければ倒れます。椅子と同じです。
3. デンマークの本当の強み――労働市場OSが“外部”にある
デンマークを理解する鍵は、労働市場が「企業の内部」で完結していない点です。日本は逆です。企業が“ミニ国家”になっている。
日本企業は、社内に
教育
職業訓練
キャリア設計
配置転換
評価と等級
長期雇用のリスク吸収
こうした機能を抱え込んでいます。
だから、会社から外に出る瞬間に人生が不安定になる。転職が“挑戦”ではなく“賭け”になる。
デンマークは違います。スキル標準、訓練体系、職務プロトコル、賃金等級、キャリアパス、失業保険、再就職支援――これらが社会インフラとして外部に存在している。
だから企業は、必要な人材を市場から採用し、事業に集中できる。ここが、日本が本気で学ぶべきポイントです。
4. 日本でフレキシキュリティをやるために必要なこと
私は、日本がこのモデルを“そのままコピー”できるとは思っていません。しかし、方向性として学ぶ価値は大きい。
日本でやるなら、最低限これが必要です。
必要なこと①:順番を守る――保障→訓練→流動化
最初にやるべきは、解雇規制の緩和ではない。保障と再就職支援を先に作ることです。
「解雇しやすい社会」だけを先に作れば、待っているのは生活破綻と恐怖政治です。制度設計の順番を間違えれば社会は壊れます。
必要なこと②:産業別スキル標準を作る
転職市場が成立するには、職務の規格が必要です。どんな仕事にどんな技能が必要で、どこまでできればいくら払うのか。この“共通言語”がなければ、人材は動けない。
日本も、職種ごとに
必須スキル
実務プロセス
評価基準
等級と賃金
訓練モジュール
試験・認定
これを産業単位で整備しないと、転職できる安心は作れません。
必要なこと③:職業訓練を「就職に直結」させる
日本のリスキリングは、どうしても“学ぶことが目的化”しやすい。しかし本来は、訓練は就職のためにある。
訓練→実務→採用までを一本の線にしなければ、税金を燃やすだけです。
必要なこと④:行政を“再配置エンジン”に変える
失業者をスキル診断し、訓練と職業紹介で再配置する運用能力が必要です。制度は紙で作れます。しかし運用は人と仕組みでしか作れない。
5. 日本でやってはいけないこと――これは社会を壊す
最後に、最も重要な話をします。
やってはいけないこと①:「解雇だけ」先に進める
保障も訓練も薄いまま、解雇を柔軟化する。これは“改革”ではなく“破壊”です。
労働者は恐怖で動けなくなる。企業は短期最適に走る。社会は分断する。結果として、経済の活力はむしろ落ちます。
やってはいけないこと②:リスキリングを自己責任にする
「学び直せ」「市場価値を上げろ」を個人に押し付けるだけでは格差は固定されます。訓練は社会インフラでなければ意味がない。
やってはいけないこと③:制度を作って“運用を放棄”する
日本は制度を作るのは得意です。しかし運用が弱い。
フレキシキュリティは、運用が回らなければ成立しない。ここを軽視すると、絵に描いた餅になります。
6. 私がこのモデルに注目する理由――資本市場と同じ構造だからだ
私はHOYAで15議案を出したときも、裁判で少数株主の権利を守ったときも、やっていたことは同じです。それは「ルールを整備し、透明性を上げ、弱者が潰されない線を引く」ことです。
労働市場も同じです。放置すれば、強者が固定され、弱者が沈む。企業の都合だけで人が切られ、個人の努力だけで再起動しろと言われる社会になる。
だから私は言いたい。日本が目指すべきは「雇用流動化」ではない。“再起動できる社会”の設計です。
結論:日本に必要なのは「転職できる安心」を制度として作ること
フレキシキュリティは、解雇しやすい国を作る話ではありません。失業しても人生が壊れない保障があり、訓練と再配置が社会インフラとして回り、職務が規格化されて移動が成立する――そういう国家設計です。
日本でこれをやるなら、
保障を先に作る
訓練を就職に直結させる
産業別スキル標準を整備する
行政を再配置エンジンにする
解雇緩和は最後にする
この順番を守ることです。
逆に言えば、この順番を守れないなら、フレキシキュリティという言葉を使うべきではない。
私はそう考えています。
山中裕