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対立する専門家の判断を、どう裁くか――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第12章「最後の共同研究」

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同じ事実について、二人の専門家がまったく異なる結論を示したとき、私たちはどちらを信じればよいのだろうか。

科学の論争でも、裁判の場でも、専門家どうしの対立は避けられない。問題は、対立が生じることではなく、その対立がどのような手続きによって整理され、事実の検証へと導かれるかである。手続きを欠いた対立は、論者の権威や弁舌、あるいは感情の応酬によって決着しがちである。

同書の第12章は、関係が冷え込んだカーネマンとトヴェルスキーが、二人の研究に向けられた批判に対して最後の共同作業に取り組み、やがてトヴェルスキーの死によって共同研究が終わりを迎えるまでを描いている。本稿では、第12章の記述を確認したうえで、専門家の対立を扱うための手続きをめぐる議論を整理し、非上場株式の価格をめぐる鑑定の対立を検討する。

問題の所在――「専門家の戦い」をどう整理するか

株式の価格をめぐる紛争では、当事者の双方が、それぞれ専門家に依頼して評価を行い、その結果を根拠として主張を展開することが多い。評価の結果は、しばしば大きく食い違う。

こうした「専門家の戦い」において、判断者は、専門的な内容を自ら検証する手段を十分に持たない。その結果、評価の中身ではなく、専門家の肩書や説明の巧拙、あるいは双方の中間をとるといった便宜的な方法によって判断が下されるおそれがある。

原著の記述――批判への応答と、共同研究の終わり

1970年代後半にイスラエルを離れた二人は、カナダと米国の大学でそれぞれ研究を続けていた。二人の研究は、心理学から経済学、医学、法学へと影響を広げていたが、その評価がトヴェルスキーに集中する傾向は変わらず、カーネマンとの心理的な距離は広がっていた。

この時期、二人の研究プログラムに対して最も体系的な挑戦を仕掛けたのは、マックス・プランク研究所を拠点とするゲルト・ギーゲレンツァーである。彼の見立てでは、二人が「誤り」として示した現象の多くは実験の作り方に起因する人工物であり、現実の環境の中での人間の判断は、むしろよく機能している。あわせて、二人の研究が人間の非合理性を過度に強調しているとも批判した。

この批判は、二人の研究の根幹に関わるものだった。冷え込んだ関係にもかかわらず、二人は再び協力して反論の論文をまとめる。これが、二人にとって事実上最後の共同作業となった。

原著は、この論争の中で二人が抱いた強い苛立ちを描いている。もっとも、ルイスの叙述は二人の側から論争を見ており、ギーゲレンツァーの論点が公平に伝えられているとは言いがたい、との書評も出ている。

トヴェルスキーがこの世を去ったのは、1996年、59歳のときである。原著は、その最期の時期と二人の関係にも筆を割いている。

研究の整理――論争を検証へと導く手続き

以下では原著から離れ、二人をめぐる論争と、そこから生まれた手続き上の工夫、さらに裁判における専門家証拠の扱いを確認する。

・論争の内容:1983年、二人は、条件を詳しく描いた人物について、二つの条件が同時に成り立つ確率を、一方の条件だけが成り立つ確率より高く判断してしまう誤り(連言錯誤)を示した。ギーゲレンツァーは1991年、こうした問題を頻度の形式で示せば誤りは大幅に減ると反論し、1996年、二人は判断の偏りの実在を改めて主張した。

・敵対的共同研究:カーネマンはのちに、対立する研究者が、事前に実験の設計と判定の基準に合意したうえで共同で研究を行う方法を提唱した。2001年には、ギーゲレンツァーの研究グループに属したラルフ・ヘルトヴィヒらとの共同研究が発表されている。

・研究の事前登録:2010年代以降、研究者が実験の仮説や分析方法を、データを集める前に登録し、公開する「事前登録」の仕組みが広がった。結果を見た後で分析の方法を選ぶことによる偏りを防ぐための手続きである。カーネマン自身も2012年、自らが著書で紹介した研究分野の再現性に強い懸念を表明し、研究者に追試の徹底を求めている。

・裁判における専門家証拠:1993年、米国連邦最高裁判所は、専門家の証言を証拠として採用する際に、その手法が検証可能か、誤りの割合が知られているか、専門家の間で受け入れられているかなどを、裁判官が審査すべきだとした。また、オーストラリアなどでは、対立する専門家を同じ法廷で同時に尋問し、合意点と相違点を明らかにする「同時証言」の手続きが用いられている。

評価――権威ではなく、手続きで対立を整理する

これらの手続きに共通するのは、対立を論者の権威や議論の勝ち負けによってではなく、事前に定めた基準と、合意点・相違点の明確化によって整理しようとする発想である。

振り返れば、この論争に一方的な勝者はいない。提示の形式によって誤りの頻度が大きく変わるというギーゲレンツァーの指摘も、形式を変えても偏りは消えないという二人の主張も、それぞれに裏づけを得ている。論争が感情的な応酬にとどまっていれば、この両面は見えなかったかもしれない。

ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論の枠組みでは、専門家の意見の対立は、より説得力のある証拠を示した側が勝つことで解消されると考えられる。しかし、専門家自身もまた、自らの立場に有利な結論を「正しい」と感じる偏りから自由ではない。その偏りを前提とすれば、対立の整理は、専門家の自己規律ではなく、手続きの設計に委ねるべきことになる。

含意――株式の価格をめぐる鑑定の対立を整理する

非上場株式の価格をめぐる紛争では、当事者が提出する評価の対立に加えて、裁判所が中立的な立場の専門家に鑑定を命じることもある。しかし、いずれの場合も、評価の結果は、前提の置き方によって大きく変わる。対立する評価のどちらが妥当かを判断するには、結論ではなく、結論に至る前提を比較する必要がある。

上記の手続きに照らせば、評価の対立を整理するために、次のような工夫が考えられる。

・対立する評価について、評価方法、将来の見通し、割引率、減額の項目などの前提を一覧の形で並べ、合意している点と相違している点を明示すること

・相違点のそれぞれについて、評価額への影響の大きさを示し、争点の優先順位を明らかにすること

・評価の方法や前提を、できる限り事前に特定し、結果を見た後での変更を制限すること

・対立する評価者が、同じ場で互いの前提について説明し、質問に答える機会を設けること

専門家の対立をなくすことはできない。しかし、対立を前提の比較へと分解することで、判断者は、肩書や弁舌ではなく、根拠に基づいて結論を選ぶことができる。

次回は連載の最終回として終章を取り上げ、二人の研究が経済学と制度にもたらしたものを総括し、本連載の議論を整理する。

専門家の対立は避けられない。だからこそ、権威ではなく、前提を比較する手続きによって整理されなければならない。

※原著の記述に関する部分は、原著の目次、出版社による内容紹介、公開されている書評・要約などに基づく。

関連URL・参考資料

・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836

・Jamie Martin「Nudged」(London Review of Books、2017年)

https://www.lrb.co.uk/v39/n15/jamie-martin/nudged

・Daniel Kahneman, Amos Tversky「On the reality of cognitive illusions」(Psychological Review、1996年)

・Gerd Gigerenzer「How to make cognitive illusions disappear: Beyond "heuristics and biases"」(European Review of Social Psychology、1991年)

・Barbara Mellers, Ralph Hertwig, Daniel Kahneman「Do frequency representations eliminate conjunction effects? An exercise in adversarial collaboration」(Psychological Science、2001年)

・Brian A. Nosek ほか「The preregistration revolution」(Proceedings of the National Academy of Sciences、2018年)

・Daubert v. Merrell Dow Pharmaceuticals, Inc., 509 U.S. 579(1993)