証拠の「強さ」と「重み」を取り違えるとき――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第5章「直感は間違える」

一件の印象的な事例と、多数の平凡な事例。判断の根拠として重く扱われるべきは、どちらだろうか。
統計学の答えは明快である。少数の観察から得られた結果は偶然の影響を受けやすく、それだけで全体を推し量ることはできない。しかし、人間の直感は、しばしばこの原則に反する。しかも、その誤りは統計の訓練を受けた研究者でさえ免れない。
同書の第5章は、カーネマンとトヴェルスキーの出会いと、二人の最初の共同研究の誕生を描いている。そのテーマが、まさにこの「小さな標本」をめぐる直感の誤りであった。本稿では、第5章の記述を確認したうえで、証拠の評価をめぐる研究を整理し、非上場株式の価格判断において少数の取引事例がどのように扱われるべきかを検討する。
問題の所在――証拠の評価という共通の課題
証拠をどう評価するかは、科学だけの問題ではない。裁判所は限られた証拠から事実を認定し、規制当局は限られたデータから政策の効果を判断する。株式の価値を評価する者も、限られた取引事例や業績の記録から結論を導く。
いずれの場面でも、証拠の量が少なく、しかも印象の強い事例が含まれているとき、判断は誤りやすい。その誤りの構造を初めて体系的に示したのが、二人の最初の共同論文であった。
原著の記述――一回の講義が招いた衝突
二人の経歴は、一度ミシガン大学で重なっている。だが、同じキャンパスにいた時期に、両者が言葉を交わした形跡はない。ヘブライ大学の心理学科で、ともに若手の有力な研究者として知られるようになってからも、二人が直接議論することはなかったという。
二人を結びつけたのは、1969年、カーネマンが担当するゼミに、トヴェルスキーがゲストとして招かれたことだった。当時のトヴェルスキーは、測定理論の体系書の執筆を終え、新しい研究の方向を模索していた。
トヴェルスキーがゼミで紹介したのは、ミシガン大学のワード・エドワーズの研究室で進められていた実験であった。赤と白のチップの入った袋からチップを取り出して見せ、被験者が袋の中身についての見積もりをどう修正するかを測る。結論は、人間の判断の修正はベイズの定理が示すほど大きくはないが、方向としてはおおむね正しい、というものだった。
カーネマンは、この結論と、それを支える考え方そのものに強く反発した。軍や空軍の現場で見てきた人間の判断は、そのように規則正しいものではなかったからである。トヴェルスキーにとって、講義は不首尾に終わった。
しかし、この衝突は二人の議論の始まりとなった。カーネマンは、統計学を教える立場にある自分自身が、少数の観察から性急に結論を引き出していることを自覚していた。二人は、統計の専門的な訓練を受けた研究者を対象に、その直感を確かめる調査を構想する。誤りが専門家にも見られるなら、それは知識の不足ではなく、人間の思考の性質だということになる。
研究の整理――「少数の法則」とその後の展開
以下では原著から離れ、二人の最初の共同研究と、それが切り開いた研究の流れを確認する。
・1971年、二人は「少数の法則への信仰」(『サイコロジカル・ブレティン』)を発表した。研究者たちは、小さな標本の結果が母集団の性質をよく反映していると過信し、追試に必要な標本の大きさを過小に見積もる傾向があった。大数の法則が小さな標本にも成り立つかのように考える、この誤った信念を、二人は皮肉を込めて「少数の法則」と呼んだ。
・1992年、デール・グリフィンとトヴェルスキーは、証拠の「強さ」と「重み」の区別を示した(『コグニティブ・サイコロジー』)。証拠の強さとは、結果がどれほど極端かであり、重みとは、その結果がどれほど多くのデータに支えられているかである。人は強さに過剰に反応し、重みを軽視する。そのため、少数の極端な事例に基づく判断には過度の自信を持ち、多数の穏当な事例に基づく判断は過小に評価しがちである。
・2002年、経済学者マシュー・ラビンは、「少数の法則」を信じる主体の推論を経済モデルとして定式化した(『クォータリー・ジャーナル・オブ・エコノミクス』)。短期の結果のばらつきを実力の差と取り違える投資家は、運用成績の偶然の偏りを過大に評価し、誤った運用者に資金を委ねることになる。
・2005年、医学研究者ジョン・イオアニディスは、標本の小さい研究や効果の小さい研究ほど、発表された結論が誤っている可能性が高いことを論じた。2013年には、キャサリン・バトンらが、神経科学の研究の多くが統計的な検出力を欠いていることを示している。二人が半世紀前に指摘した問題は、学術研究の信頼性をめぐる議論の中心に位置するようになった。
評価――専門性は誤りを防がない
第5章の衝突から引き出すべき論点は、専門的な訓練が、直感の誤りに対する十分な防御にならないということである。
ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論は、人が利用可能な情報を適切に用いて判断すると想定する。新しい情報が得られれば、合理的な主体はベイズの定理に従って見積もりを更新する。エドワーズの実験が描いた人間像は、この理想から大きくは外れない、いわば「やや控えめなベイズ主義者」であった。
これに対し、二人の研究と、その後のグリフィンとトヴェルスキーの研究が示したのは、人間の誤りが「反応の鈍さ」という一方向のものではないことである。人は、証拠の重みには鈍く、証拠の強さには過敏に反応する。この非対称性は、少数の印象的な事例が判断を支配するという、実務上きわめて重要な問題を生む。
ただし、こうした偏りの大きさは、問題の示し方によっても変わる。確率を頻度の形で示すと誤りが減るという反論もあり、この論点は本書の後半を扱う回で取り上げる。
含意――少数の取引事例をどう扱うべきか
非上場株式の価格判断は、証拠の重みが乏しい領域の典型である。
上場株式と異なり、非上場株式の取引は散発的であり、過去の売買の事例は数件にとどまるか、まったく存在しないことも多い。数少ない事例の中に、特定の事情で極端な価格がついた取引が含まれていれば、それは強い印象を残し、その後の交渉や判断の基準として扱われやすい。証拠の強さが、重みを圧倒するのである。
同じことは、業績の評価にも当てはまる。直近の一、二年の業績が大きく変動していれば、その数字は強い印象を与える。しかし、少数年度の業績は、景気や一時的な要因の影響を強く受ける小さな標本にすぎない。
証拠の重みを適切に扱うために、評価の実務には次のような規律が求められる。
・過去の取引事例を参照する場合は、事例の件数、時期、当事者の関係、取引の事情を、事例ごとに明示すること
・事例が少数である場合は、それを単独の根拠とせず、他の算定方法による結果と並べて示すこと
・極端な価格の事例を参照する場合は、その価格が生じた個別の事情を検討し、一般化できるかを示すこと
・業績の評価には、可能な限り長い期間のデータを用い、期間の選び方の理由を明らかにすること
これらは、証拠の強さではなく重みに基づいて判断するための、手続き上の工夫である。
次回は第6章を取り上げ、二人が次に解明した「代表性」と「利用可能性」という判断の経験則が、確率の判断をどのように歪めるのかを検討する。
一件の印象的な事例は、多数の事例の代わりにはならない。証拠は、強さではなく重みで評価されなければならない。
※原著の記述に関する部分は、原著の目次、出版社による内容紹介、公開されている書評・要約などに基づく。
関連URL・参考資料
・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836
・SuperSummary「The Undoing Project: Chapter 5 Summary」
https://supersummary.com/the-undoing-project/chapter-5
・Amos Tversky, Daniel Kahneman「Belief in the law of small numbers」(Psychological Bulletin、1971年)
・Dale Griffin, Amos Tversky「The weighing of evidence and the determinants of confidence」(Cognitive Psychology、1992年)
・Matthew Rabin「Inference by believers in the law of small numbers」(Quarterly Journal of Economics、2002年)
・John P. A. Ioannidis「Why most published research findings are false」(PLOS Medicine、2005年)
・Katherine S. Button ほか「Power failure: Why small sample size undermines the reliability of neuroscience」(Nature Reviews Neuroscience、2013年)