評価者の確信は、予測の正しさを保証しない――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第2章「ダニエル・カーネマンは信用しない」

人を評価する専門家が、自分の評価に強い確信を持っているとき、その評価は当たるのだろうか。
経験を積んだ評価者ほど、自らの判断に自信を持つ。組織もまた、その自信を判断の確かさの表れとして受け止めがちである。しかし、確信の強さと予測の正確さは、必ずしも連動しない。
同書の第2章は、のちにノーベル経済学賞を受賞するダニエル・カーネマンが、若くしてこの問題に直面し、評価の仕組みそのものを作り変えた経緯を描いている。本稿では、第2章の記述を確認したうえで、カーネマンが軍で行った評価方式の改革を、判断の「構造化」という観点から整理し、非上場株式の評価実務への示唆を検討する。
問題の所在――「総合的に判断する」ことの危うさ
人事の選考でも、企業の評価でも、最終的な判断は「総合的な判断」として下されることが多い。多様な要素を一つひとつ数値化することは難しく、経験ある専門家が全体を見渡して判断するほうが、実態に即していると考えられているからである。
しかし、総合的な判断には、二つの弱点がある。一つは、判断の根拠が外部から検証しにくいこと。もう一つは、ある一つの要素の印象が、他の要素の評価にまで及びやすいことである。
カーネマンが軍で目の当たりにしたのは、まさにこの弱点だった。
原著の記述――観察者としての少年と、軍の心理学者
第2章は、カーネマンの生い立ちから始まる。
1934年にテルアビブで生まれたカーネマンは、少年期をパリで過ごした。第二次世界大戦が始まると、一家はドイツ軍の侵攻を受けて南フランスへ移り、ユダヤ人であることを隠して暮らした。父親は、ドイツ軍がどこまで侵攻してくるかを見誤っていたという。原著は、この時期のカーネマンを、周囲の人間を一歩離れたところから観察する少年として描いている。
戦争の終結前に父を失ったカーネマンは、1946年、家族とともにパレスチナへ渡る。2年後にイスラエルが建国される土地である。カーネマンはヘブライ語を短期間で習得したものの、イスラエル社会に溶け込みきることはなかった。
ヘブライ大学で心理学を学び、1954年に卒業したカーネマンは、イスラエル軍に入隊し、新兵の適性評価を担当する心理学者となった。
そこで彼が気づいたのは、面接官の評価が、新兵の一つの特徴から受けた印象によって全体として左右されていること、そして面接官の予測が、新兵がその後に示した実際の成績とほとんど一致していないことだった。カーネマンは、面接官の全体的な印象に頼る方式を改め、あらかじめ定めた項目ごとに、具体的な行動に基づいて点数をつける方式を導入した。この方式は、軍の選抜制度として長く用いられることになる。
軍務を終えたカーネマンは米国に留学し、1961年にカリフォルニア大学バークレー校で学位を得た。帰国後のヘブライ大学では、視覚と知覚の仕組みを主な研究対象としている。同僚エイモス・トヴェルスキーとの協働が始まるのは、1969年のことである。
研究の整理――判断の「構造化」をめぐる知見
以下では原著を離れ、カーネマンが軍で導入した評価方式の意味を、その後の研究の中に位置づける。
・ハロー効果:一つの特徴の印象が他の特徴の評価に波及する現象は、1920年に心理学者エドワード・ソーンダイクが、軍における上官の部下評価を分析する中で報告した。半世紀後、同じ軍という組織の中で、カーネマンは面接官の評価にこの効果を確認したことになる。
・妥当性の錯覚:将校候補を選ぶための集団課題でも、評価者たちは自分の見立てに揺るぎない自信を持っていた。だが、追跡したデータでは、その見立てはほとんど的中していなかった。予測が外れているというデータを示された後も、評価者の確信は弱まらなかった。カーネマンはのちに、この現象を「妥当性の錯覚」と呼んだ。
・構造化面接の有効性:1998年、フランク・シュミットとジョン・ハンターは、人事選考の手法に関する長年の研究を統合し、質問と評価基準をあらかじめ定めた構造化面接が、自由形式の面接よりも高い予測力を持つことを示した。
注目すべきは、カーネマン自身が後年、この軍の評価方式について補足していることである。著書『ファスト&スロー』によれば、彼は面接官に、項目ごとの点数をつけ終えた後で、目を閉じて新兵の将来を想像し、全体的な評価を一つ加えるよう求めた。その結果、この最後の直感的な評価も、一定の予測力を持っていたという。
つまり、カーネマンの方式は、直感を排除するものではなかった。直感を、項目ごとの独立した評価の「後」に置くことで、印象が個々の評価を汚染することを防いだのである。
この考え方は、カーネマンらが2019年に提唱した、戦略的な意思決定のための手法にも引き継がれている。意思決定の対象をいくつかの評価項目に分解し、項目ごとに独立して評価を行い、最終的な総合判断はその後に行う、というものである。
評価――確信と正確さを切り離す制度
第2章から引き出せる最も重要な論点は、評価者の確信と予測の正確さを、制度の上で切り離す必要があるということである。
ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論の枠組みでは、判断を誤る評価者は、競争や結果の検証を通じて淘汰されるか、自らの誤りを修正すると想定される。しかし、カーネマンが軍で見たのは、結果のデータを示されても確信を改めない評価者たちだった。誤りから学ぶ機会があっても、学習が起こるとは限らないのである。
だとすれば、評価の質を担保するためには、評価者の能力や誠実さに期待するだけでは足りない。評価の手順そのものに、印象の波及を防ぎ、事後的な検証を可能にする仕組みを組み込む必要がある。
もっとも、構造化にも限界はある。あらかじめ定めた項目が、評価対象の重要な特徴を捉え損ねていれば、構造化された評価はかえって誤りを固定化しかねない。カーネマン自身が直感的な評価を最後に残したことは、構造化と直感の役割分担の問題として理解すべきだろう。
なお、原著は戦争体験や少年期の経験をカーネマンの研究姿勢と結びつけて描いている。伝記として説得力のある叙述ではあるが、生い立ちと研究内容の因果関係を確かめる手段はなく、その点は読み手として留保しておきたい。
含意――非上場株式の評価に「構造」を持ち込む
非上場株式の評価においても、最終的な評価額は、しばしば評価者の総合的な判断として示される。
とくに、将来の収益見通しや経営の質といった定性的な要素は、評価者の印象に左右されやすい。経営者との面談で受けた好印象や悪印象が、事業計画の妥当性、資産の評価、減額の幅といった個別の判断にまで波及すれば、それはハロー効果にほかならない。
カーネマンの方式から導かれる示唆は、次のように整理できる。
・評価を構成する要素(資産、収益力、配当、将来の見通し、減額の要因など)を分解し、要素ごとに根拠を示して評価すること
・要素ごとの評価を確定させた後に、総合的な調整を行い、その調整の理由を明示すること
・可能であれば、要素ごとの評価を異なる担当者が独立して行い、相互の影響を避けること
・評価の基準となる時点や期間の選び方を明示し、特定の年度の業績だけに依存しないこと
最後の点について補足する。業績は年度によって変動し、極端に良い年や悪い年の後には、平均的な水準に戻ることが多い。評価の基準時点が、業績の落ち込んだ年度に置かれれば、評価額は実態より低くなりうる。どの期間の業績を用いるかは、それ自体が評価の結果を左右する判断であり、その選択の理由が開示されるべきである。
次回は第3章を取り上げ、もう一人の主人公エイモス・トヴェルスキーが、合理的選択の基礎となる公理を実験によって検証した研究を検討する。
評価者の確信は、評価の正しさの証明にはならない。確信と正確さを切り離す手続きが、公正な評価の前提である。
※「原著の記述」の節は、原著の目次と出版社の内容紹介のほか、公開された書評・要約やカーネマンの自伝を参照して構成した。
関連URL・参考資料
・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836
・Daniel Kahneman「Biographical」(The Nobel Prize、2002年)
https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2002/kahneman/biographical/
・Shortform「Who Is Daniel Kahneman? His Life & Career Before Tversky」
https://www.shortform.com/blog/who-is-daniel-kahneman/
・Edward L. Thorndike「A constant error in psychological ratings」(Journal of Applied Psychology、1920年)
・Frank L. Schmidt, John E. Hunter「The validity and utility of selection methods in personnel psychology」(Psychological Bulletin、1998年)
・ダニエル・カーネマン著、村井章子訳『ファスト&スロー』(早川書房、2012年)
・Daniel Kahneman, Dan Lovallo, Olivier Sibony「A Structured Approach to Strategic Decisions」(MIT Sloan Management Review、2019年)