Activism
消費税とコーポレートガバナンス改革は本当に賃上げを妨げたのか――安藤裕氏の主張を経済学と企業統治論から検証する

山中裕の経済評論
近年、「消費税があるから給料は上がらない」「コーポレートガバナンス改革によって株主利益が優先され、従業員の賃金が抑えられてきた」という議論を耳にする機会が増えました。
この主張を積極的に発信しているのが、参政党の安藤裕氏です。
安藤氏は税理士として長年中小企業の税務に携わってきた経験を背景に、消費税制度やコーポレートガバナンス改革こそが、日本の「失われた30年」を招いた大きな要因であると訴えています。
2025年12月の参議院予算委員会では、「消費税は賃上げ妨害税である」と主張するとともに、翌日の質疑では、コーポレートガバナンス改革が株主利益を優先させた結果、賃金や設備投資が抑制され、日本経済の停滞を招いたと論じました。
税理士として中小企業の現場を見続けてきた経験に基づく問題提起には、一定の説得力があります。価格転嫁が難しい企業や、消費税負担に苦しむ中小企業が存在することは事実であり、その現実を無視すべきではありません。
しかし、その経験だけで日本経済全体の賃金停滞を説明できるのでしょうか。
私は株主提案を行い、多くの企業と対話を重ねながら企業統治を研究してきました。その立場から見ると、安藤氏の主張には、ミクロ経済とマクロ経済、そして企業統治の本来の役割を混同している部分があるように思います。
消費税は本当に「賃上げ妨害税」なのか
安藤氏は、人件費が仕入税額控除の対象外であることを理由に、「企業は賃上げを行うほど消費税負担が重くなる」と説明しています。
制度上、人件費が課税仕入れに該当しないことは事実です。また、価格転嫁が十分にできない企業では、消費税負担が資金繰りを圧迫することもあります。
しかし、このことから「消費税が日本全体の賃金停滞を引き起こしている」と結論付けることはできません。
標準的な公共経済学では、消費税(付加価値税)は基本的に価格へ転嫁される間接税として整理されています。また、長期的な実質賃金を決定する最も重要な要因は、労働者一人ひとりが生み出す付加価値、すなわち労働生産性であると考えられています。
企業の資金繰りというミクロの課題と、日本経済全体の賃金というマクロ経済の問題は、本来区別して議論すべきです。
もちろん、価格転嫁が難しい市場では企業が一時的に税負担を抱えることもあります。しかし、それは市場環境や競争条件によるものであり、「消費税という制度そのものが日本全体の賃金を押し下げている」とまでは言えません。
コーポレートガバナンス改革は誰のための改革なのか
私がより違和感を覚えるのは、コーポレートガバナンス改革に対する評価です。
私はこれまで株主提案を通じて、多くの企業の企業統治について問題提起を行ってきました。その経験から言えば、コーポレートガバナンス改革は決して「株主だけを豊かにする改革」ではありません。
本来の目的は、経営者に規律を与え、資本を効率的に活用し、企業価値を持続的に高めることです。
資本コストを意識した経営を行うこと。不採算事業を見直すこと。余剰資金を成長分野へ再配分すること。そして、人的資本へ積極的に投資すること。
これらはすべて企業価値を高めるための取り組みであり、株主だけの利益を追求するものではありません。
近年の企業統治では、人的資本への投資が企業価値向上の重要な要素として位置付けられています。優秀な人材を採用し、教育し、適切な報酬を支払うことは、短期的なコストではなく、将来の成長を支える投資と考えられています。
その意味で、「株主重視だから賃金が上がらない」という説明は、現在の企業統治改革の方向性を十分に反映しているとは言えません。
株主と従業員は対立する存在ではない
私は以前から、「株主か従業員か」という二項対立そのものが誤りだと考えています。
企業価値が高まれば、株主は利益を得ます。同時に、企業の収益力が向上すれば、従業員への賃金や教育投資も増やしやすくなります。顧客にはより良い商品やサービスが提供され、地域社会にも新たな雇用や投資が生まれます。
企業経営とは、限られた利益を誰が奪い合うかではありません。
新たな付加価値を創出し、その成果を社会全体へ広げていく営みです。
もちろん、短期的には配当と賃金のバランスが議論になることはあります。しかし、それだけを切り取って「株主還元が増えたから賃金が上がらない」と結論付けるのは、企業経営を静止画で見ているようなものです。
本来見るべきなのは、企業が成長投資を行い、生産性を高め、新たな価値を生み出しているかどうかです。
日本企業が本当に変えるべきもの
日本企業の課題は、株主が強すぎることではありません。
長年にわたり、現預金を積み上げながら成長投資を先送りし、不採算事業を温存し、人材への投資にも十分踏み込めなかった経営にあります。
こうした現状維持型の経営が、生産性の停滞を招き、その結果として賃金も伸び悩みました。
だからこそ、コーポレートガバナンス改革は、経営者に説明責任と規律を求めるために存在しています。
社外取締役は機能しているのか。
資本コストを意識した経営になっているのか。
人的資本への投資は十分なのか。
企業価値向上につながる資本配分が行われているのか。
こうした問いを経営陣に突き付けることこそ、企業統治改革の本質なのです。
私の考え
安藤氏の問題提起には、中小企業の現場を知る税理士としての経験が反映されています。その点は評価すべきでしょう。
しかし、「消費税」と「コーポレートガバナンス改革」の二つだけで、日本経済の長期停滞や賃金低迷を説明することはできません。
賃金を決めるのは、生産性、技術革新、設備投資、人的資本への投資、労働市場の流動性、そして企業価値を高める経営です。
私が目指しているのは、株主利益の最大化ではありません。
企業価値の最大化です。
企業価値が高まれば、その成果は株主だけでなく、従業員、顧客、取引先、そして社会全体へ還元されます。
「株主か労働者か」「消費税か賃金か」という単純な二項対立では、日本経済の本質は見えてきません。
本当に必要なのは、イデオロギーではなく、データと実証分析に基づいて政策を議論し、企業が持続的に付加価値を生み出せる環境を整えることです。
私は、そのための企業統治改革こそが、日本経済を再び成長軌道へ戻し、持続的な賃上げを実現する鍵になると考えています。