誤りから学ぶ制度は、どのように作られるのか――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第8章「まず医療の現場が注目した」

専門家の判断の誤りが避けられないものだとすれば、問われるべきは、誤りをなくすことではなく、誤りから学び、その被害を小さくする仕組みをどう作るかである。
この課題に、どの分野よりも早く、そして組織的に取り組んできたのが医療である。医療の現場では、判断の誤りが患者の生死に直結し、その結果が比較的明確に観察できるからである。
同書の第8章は、カーネマンとトヴェルスキーの研究に強く惹かれた一人の医師を通じて、二人の知見が医療の世界に入っていく過程を描いている。本稿では、第8章の記述を確認したうえで、医療が判断の誤りに対して築いてきた制度的な対応を整理し、それと対比することで、非上場株式の評価という領域に欠けているものを検討する。
問題の所在――結果が見えない領域では、誤りは修正されない
判断の誤りが修正されるためには、判断の結果が観察され、誤りがあったことが認識される必要がある。医療では、診断や治療の結果が患者の容体として現れ、誤りは少なくとも事後的には明らかになりうる。
これに対し、結果が観察されにくい領域では、誤りは認識されないまま繰り返される。判断の質を改善する仕組みが働くかどうかは、結果を検証できる回路が制度の中に組み込まれているかどうかにかかっている。
原著の記述――確信を持たない医師
二人の研究を医療の世界に持ち込んだ人物として、第8章が焦点を当てるのは、トロントを拠点に臨床と研究を続けたドナルド・レデルマイヤーという内科医である。
彼が二人の論文を初めて手に取ったのは、まだ高校生の年齢、17歳のときだったという。その内容は、医学を学び、臨床に携わるようになってからも、彼の思考の底に残り続けた。
ルイスの筆によれば、レデルマイヤーはどんな事柄についても「確かだ」と言い切ることのない人物であった。自分の判断も、他人の判断も、どこかで誤っている可能性がある。この感覚が、彼を医療における判断の誤りという問題へと向かわせた。診断を下す際にも、レデルマイヤーは、系統的な偏りが入り込んでいないかを確かめようとしたという。
彼の問題意識を決定的にしたのは、防ぎえたはずのオートバイ事故によって、21歳の若者が脳死に至る現場に立ち会った経験であった。人間はリスクを適切に判断する能力を欠いている。この認識が、レデルマイヤーを、二人の研究から得た意思決定の知見を医療に生かす道へと導いていく。
研究の整理――医療が築いてきた三つの制度的対応
以下では原著から離れ、医療が判断の誤りに対して講じてきた対応を、三つの観点から整理する。
・誤りの可視化:1999年、米国医学研究所は報告書『人は誰でも間違える』を公表し、米国の病院で医療過誤により年間4万4000人から9万8000人が死亡していると推計した。この報告書は、誤りを個人の責任として追及するのではなく、誤りを生む仕組みを改善すべきだという考え方を広めた。2015年には、米国の全米アカデミーズが、診断の誤りに焦点を当てた報告書を公表している。
・手続きの標準化:2009年、アレックス・ヘインズらは、世界保健機関(WHO)が作成した手術安全チェックリストを8か国の病院で導入した結果を報告し、手術後の死亡率が1.5%から0.8%に低下したことを示した(『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』)。
・判断の分散と検証:医療では、症例検討会で誤りや合併症の事例を共有し、検証する慣行が定着している。また、重大な診断や治療方針については、別の医師の意見を求めるセカンドオピニオンが制度として認められている。
レデルマイヤー自身の研究も、医療の外へと影響を広げた。1997年にロバート・ティブシラニとともに発表した研究では、運転中の携帯電話の使用が事故の危険を大きく高めることを示し、各国の交通規制をめぐる議論に影響を与えた。
評価――誤りを前提とする制度、誤りを否認する制度
医療の経験から引き出せる最も重要な教訓は、誤りの存在を前提として制度を設計することの意義である。
ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論の枠組みでは、専門家の誤りは、評判や法的責任といった誘因によって抑制されると考えられる。誤りを犯した医師は患者を失い、損害賠償を求められるからである。しかし、医療の経験が示したのは、責任の追及だけでは誤りは減らず、むしろ誤りが隠され、学習の機会が失われる場合があるということだった。誤りを報告し、共有し、仕組みとして改善する文化が、責任追及とは別に必要とされたのである。
もっとも、医療においても、こうした制度は自然に生まれたわけではない。経験を積んだ医師ほど自らの判断に確信を持ち、手続きによる制約に抵抗することも少なくない。チェックリストの導入も、現場の反発を乗り越えて進められてきた。自らの専門判断に誤りがありうると公に認めることへの抵抗は、医療に限らず、専門職一般に共通する障壁である。
含意――非上場株式の評価に欠けている回路
医療と対比すると、非上場株式の評価という領域の特徴が浮かび上がる。
第一に、評価の結果が検証されにくい。非上場株式の評価額が適切であったかどうかは、市場価格という基準がないため、事後的にも確かめることが難しい。誤りがあっても、それが誤りとして認識される回路がほとんど存在しない。
第二に、評価の事例が共有されない。個々の評価は当事者間の非公開の文書にとどまり、医療の症例検討会のように、事例を集めて検証する場がない。
第三に、判断の分散が制度化されていない。少数株主が会社の示した評価に疑問を持っても、別の専門家の評価を求める仕組みは、当事者の費用負担に委ねられているのが実情である。
医療の経験に照らせば、非上場株式の評価の質を高めるための制度的な方向として、次のような点が考えられる。
・評価の前提と手順を標準化し、評価書に必ず記載すべき項目を明確にすること
・評価の事例を、匿名化したうえで集積し、評価方法や結果を事後的に検証できる場を設けること
・少数株主が、会社側とは独立した評価を求めることを容易にする仕組みを整えること
・評価の誤りを、個々の評価者の責任追及にとどめず、評価の手続きの改善につなげること
誤りをなくすことはできない。しかし、誤りが見え、共有され、修正される回路を制度の中に組み込むことはできる。
次回は第9章を取り上げ、医療に続いて二人の研究が経済学の中核である期待効用理論に向かっていく過程を検討する。
誤りは避けられない。だからこそ、誤りが見え、共有され、修正される回路を、制度の中に組み込まなければならない。
※原著の記述に関する部分は、原著の目次、出版社による内容紹介、公開されている書評・要約などに基づく。
関連URL・参考資料
・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836
・SuperSummary「The Undoing Project: Chapter 8 Summary」
https://supersummary.com/the-undoing-project/chapter-8
・Institute of Medicine『To Err Is Human: Building a Safer Health System』(National Academy Press、1999年)
・National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine『Improving Diagnosis in Health Care』(National Academies Press、2015年)
・Alex B. Haynes ほか「A surgical safety checklist to reduce morbidity and mortality in a global population」(New England Journal of Medicine、2009年)
・Donald A. Redelmeier, Robert J. Tibshirani「Association between cellular-telephone calls and motor vehicle collisions」(New England Journal of Medicine、1997年)