「思い出しやすさ」が相場観をつくる――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第6章「脳は記憶にだまされる」

ある出来事がどれほど起こりやすいかを、人はどのように見積もっているのだろうか。
統計を参照できない場面で、人が頼るのは自分の記憶である。思い浮かびやすい事例が多ければ、その出来事は頻繁に起きていると感じ、思い浮かばなければ、まれな出来事だと感じる。しかし、記憶に残りやすいかどうかは、実際の頻度とは別の要因、たとえば報道の多さや印象の強さによって左右される。
同書の第6章は、カーネマンとトヴェルスキーの共同研究が勢いを得て、人間の確率判断の仕組みを解明していく時期を描いている。本稿では、第6章の記述を確認したうえで、二人が見出した判断の経験則と、それが個人の判断を超えて社会や市場の認識を形づくる過程を整理し、非上場株式の価格をめぐる「相場観」の形成という問題を検討する。
問題の所在――個人の誤りが「常識」になるとき
個人の判断の誤りは、個人の問題にとどまるとは限らない。多くの人が同じ経験則に頼り、同じ事例を思い浮かべるなら、誤りは社会の中で共有され、やがて「常識」や「相場」として定着する。
この過程は、統計情報が乏しく、話題になった少数の事例が人々の記憶を占めやすい領域で、とりわけ起こりやすい。
原著の記述――「心の規則」を探る共同作業
第6章が描くのは、二人の協力関係が深まり、研究が加速していく時期である。
原著によれば、二人の間には、相手の突飛な発想をすぐに退けるのではなく、その中から意味のある着想を掘り起こそうとする信頼があった。カーネマンは、自分の言おうとすることを、相手がすぐに理解してくれたと回想している。原著は、この協働がカーネマンの人生そのものを変えるほどの意味を持ったことを伝えている。自分の判断を信用できなかった研究者が、初めて全面的に信頼できる相手を得たのである。
共同作業の舞台の一つとなったのは、米国西海岸オレゴン州の大学町ユージーンである。二人は数多くの思考実験を重ね、人が出来事の確率を判断するとき、心の中で何が起きているのかを探った。その過程で、人間の心は判断の際に自らを欺いているという確信を強めていく。
二人が注目したのは、最近の出来事や鮮明な出来事が、判断において過大な重みを持つという傾向だった。この傾向を説明するために二人が用意した道具立てが、主観確率の理論であり、判断の近道としての「ヒューリスティクス」という概念であった。経験則は通常は役に立つが、ときに重大な誤りをもたらす。これが二人の主張の核心であった。
研究の整理――経験則から「利用可能性カスケード」へ
以下では原著から離れ、二人の研究と、それを社会的な現象へと拡張した研究を確認する。
・1972年、二人は「代表性」の研究を発表した(『コグニティブ・サイコロジー』)。人は、ある事例がその集団の典型的なイメージにどれほど似ているかによって、その事例が集団に属する確率を判断する。
・1973年、二人は「利用可能性」の研究を発表した(同誌)。人は、ある出来事の頻度を、それに当てはまる事例を思い浮かべる容易さによって判断する。
・1978年、サラ・リクテンスタインらは、さまざまな死因による死亡者数を人々に推定させ、報道されやすい事故や災害による死亡が過大に、目立たない病気による死亡が過小に見積もられることを示した。
・1999年、法学者ティムール・クランとキャス・サンスティーンは、「利用可能性カスケード」という概念を提示した(『スタンフォード・ロー・レビュー』)。ある出来事が報道や議論によって繰り返し取り上げられると、それが人々の記憶の中で利用しやすくなり、問題の深刻さについての社会的な認識が自己増殖的に強まっていく。その結果、規制や政策が、実際のリスクの大きさとは釣り合わない方向に動くことがある。
・2010年、経済学者ニコラ・ジェンナイオーリとアンドレイ・シュライファーは、人が判断の際に「思い浮かんだ」可能性だけに基づいて推論するという考え方を経済モデルとして定式化した。その後の研究では、この考え方を用いて、金融市場における期待の過度な楽観や悲観が説明されている。
評価――記憶の偏りは市場と制度に持ち込まれる
第6章の議論と上記の研究を合わせると、利用可能性の経験則は、個人の確率判断の誤りにとどまらず、社会的な認識や制度の形成にまで影響を及ぼしうることがわかる。
ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論において、確率の見積もりは意思決定の入力であり、その入力自体は歪んでいないことが暗黙の前提とされている。犯罪の抑止をめぐる議論でも、人々が摘発の確率をどう認識するかが重要な変数とされる。しかし、その認識が実際の確率ではなく、話題になった事例の思い出しやすさによって形づくられているなら、理論が想定する行動の前提は大きく変わる。
一方で、経験則の考え方には、どの経験則がどの場面で働くのかを事前に特定できない、という批判もある。利用可能性という概念を、あらゆる判断の誤りを事後的に説明する便利な言葉として用いることは避けなければならない。クランとサンスティーンの議論が重要なのは、報道の頻度や議論の反復という観察可能な要因と結びつけることで、この概念に検証可能な形を与えた点にある。
含意――非上場株式の「相場観」はどこから来るのか
非上場株式の価格については、体系的な統計がほとんど存在しない。取引は当事者間で非公開に行われ、その価格が公表されることはまれである。
このような領域では、当事者や専門家の「相場観」は、限られた事例の記憶によって形成されやすい。たとえば、報道された裁判例や、業界内で話題になった取引の価格が、非上場株式の価格についての一般的な感覚を形づくる。しかし、話題になる事例は、多くの場合、極端な価格がついた例外的な事例である。利用可能性の経験則によれば、こうした事例は、実際の頻度以上に典型的なものとして記憶される。
「非上場株式は安くしか売れない」「少数株主の株には価値がない」といった通念も、同じ過程を経て定着している可能性がある。代表性の経験則によって、個々の会社の実態とは無関係に、典型的なイメージが評価に入り込むのである。
この問題に対する制度的な対応として、次のような方向が考えられる。
・非上場株式の取引価格や裁判所の価格決定の事例を、個別の事情とあわせて体系的に収集し、匿名化したうえで参照できるようにすること
・評価の場面で事例を参照する場合は、話題性ではなく、事例の網羅性と代表性を基準に選ぶこと
・「相場」として語られる通念について、その根拠となるデータが存在するかを確認すること
記憶に頼った相場観を、データに基づく参照枠に置き換えること。それが、情報の乏しい市場における価格の公正さを高める基盤となる。
次回は第7章を取り上げ、予測の心理と後知恵の問題を、事後的な判断が求められる法的な評価の場面と結びつけて検討する。
思い出しやすい事例は、典型的な事例ではない。記憶ではなくデータに基づく参照枠が、公正な価格の前提である。
※原著の記述に関する部分は、原著の目次、出版社による内容紹介、公開されている書評・要約などに基づく。
関連URL・参考資料
・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836
・SuperSummary「The Undoing Project: Chapter 6 Summary」
https://supersummary.com/the-undoing-project/chapter-6
・Daniel Kahneman, Amos Tversky「Subjective probability: A judgment of representativeness」(Cognitive Psychology、1972年)
・Amos Tversky, Daniel Kahneman「Availability: A heuristic for judging frequency and probability」(Cognitive Psychology、1973年)
・Sarah Lichtenstein ほか「Judged frequency of lethal events」(Journal of Experimental Psychology: Human Learning and Memory、1978年)
・Timur Kuran, Cass R. Sunstein「Availability cascades and risk regulation」(Stanford Law Review、1999年)
・Nicola Gennaioli, Andrei Shleifer「What comes to mind」(Quarterly Journal of Economics、2010年)