注意は有限の資源である――『かくて行動経済学は生まれり』を読む 第4章「無意識の世界を可視化する」

情報を開示すれば、当事者は自ら適切に判断できる。この考え方は、企業法制や消費者保護の多くの制度の土台にある。
しかし、開示された情報が意味を持つのは、受け手がそれに注意を向け、処理できる場合に限られる。人間の注意には限りがあり、何かに注意を向けている間、他の何かは見えなくなる。
同書の第4章は、カーネマンとトヴェルスキーがまだ共同研究を始める前、それぞれがヘブライ大学で研究と教育に取り組んでいた時期を描いている。この時期のカーネマンの関心は、人間の知覚と注意の仕組みにあった。本稿では、第4章の記述を確認したうえで、注意の有限性をめぐる研究を整理し、「開示による保護」という制度の前提を問い直す。
問題の所在――「知らされていれば、判断できる」のか
情報の非対称性を是正する最も一般的な方法は、情報を持つ側に開示を義務づけることである。開示が行われれば、情報を持たない側も、自ら内容を確認し、判断することができる、というのがその論理である。
この論理は、情報の受け手が、開示された情報を読み、理解し、判断に反映させることを前提としている。ところが、この前提は、人間の認知の仕組みに照らすと、必ずしも自明ではない。
原著の記述――ヘブライ大学に集った二人
第4章で、トヴェルスキーは米国での約5年間の研究生活を終え、1966年にイスラエルへ戻り、ヘブライ大学の助教授に就任する。留学先で知り合った心理学者バーバラとはすでに結婚しており、彼女もまたヘブライ大学で講義を受け持つことになる。米国の大学に慣れた彼女は、学生が講義中に遠慮なく異を唱えるイスラエルの大学の空気に、文化の違いを感じたという。
原著は、当時のイスラエルの研究者たちが、政治家や軍人、記者と日常的に接し、国家の安全をめぐる緊張の中で暮らしていたことを描いている。帰国から半年ほどで第三次中東戦争が始まると、トヴェルスキーは再び部隊に加わった。
トヴェルスキーとともに帰国した友人の心理学者は、トヴェルスキーの存在感の大きさに気後れし、共同研究への意欲を失っていった。原著は、トヴェルスキーの強い自信が、対等な協力関係の妨げにもなりえたことを示唆している。
一方のカーネマンは、大学で教えるかたわら、イスラエル空軍のパイロットにかかわる心理学の仕事にも従事していた。講義は学生にとって刺激的であったが、講義を離れたカーネマンは、気分の起伏が大きく、強い自己懐疑を抱える人物として、元学生や同僚の証言の中に現れる。研究面では、視覚がどのように世界を捉え、どこで誤るのかを主題としていた。
自信に満ちたトヴェルスキーと、自らを疑い続けるカーネマン。原著は二人を、欠点を抱えた等身大の人間として描き、両者の出会いへの伏線を張っている。
研究の整理――注意の有限性をめぐる心理学と経済学
以下では原著から離れ、注意の有限性をめぐる研究を、心理学と経済学の双方から確認する。
・1966年、カーネマンはジャクソン・ビーティーとともに、記憶すべき数字の数が増えるにつれて瞳孔が拡大することを示した(『サイエンス』)。思考に要する努力が、生理的な指標として測定できることを示した研究である。
・1973年、カーネマンは著書『注意と努力』で、人間が一度に投入できる注意の総量には上限があり、複数の課題がその容量を奪い合うという考え方を体系化した。
・1999年、ダニエル・シモンズとクリストファー・チャブリスは、映像の中の特定の動きを数えている人の多くが、画面を横切る予想外の対象に気づかないことを示した(非注意性盲目)。
・2003年、のちにノーベル経済学賞を受賞するクリストファー・シムズは、情報を処理する能力に限りがある主体は、すべての情報を使うのではなく、限られた注意を選択的に配分するという「合理的不注意」のモデルを提示した。
最後のシムズの研究は、注目に値する。注意の有限性は、心理学だけの問題ではなく、経済学もまた、合理的な主体の行動を説明する枠組みの中に取り込もうとしてきたのである。
評価――「開示すれば足りる」という前提の限界
注意の有限性を前提とすると、開示による保護という制度の論理には、限界があることがわかる。
米国の法学者オムリ・ベン=シャハルとカール・シュナイダーは、2014年の著書で、法律が義務づける情報開示の多くが、受け手に読まれず、理解されず、判断の改善につながっていないことを、多数の分野の実証研究をもとに論じた。開示される情報の量が増えるほど、受け手の注意はかえって分散し、重要な情報が埋もれてしまう。
ゲーリー・ベッカーらの合理的選択理論に立てば、情報を処理する費用が便益を上回る場合、受け手が開示情報を読まないこと自体は合理的な選択でありうる。シムズの合理的不注意のモデルも、同じ方向の説明を与える。しかし、受け手の不注意が合理的であるとしても、そのことは、開示による保護が機能していないという問題を解消するものではない。
むしろ問われるべきは、注意が有限であることを前提に、何を、どのような形で示せば、受け手の判断に実際に役立つのかという、開示の設計の問題である。
含意――非上場株式の評価書をどう開示すべきか
非上場株式の売買や買取の場面では、会社側から株主に対して、株式の評価書や算定の根拠が示されることがある。
評価書は、多くの場合、詳細な財務データや算定過程を含む長大な文書である。株主の注意は、結論として示される一株あたりの金額に集中しやすく、その金額を左右する前提条件は、本文や注記の中に埋もれがちである。非注意性盲目の実験が示すように、注意を向けていないものは、目の前にあっても見えない。
注意の有限性を踏まえるなら、評価の開示には、次のような工夫が求められる。
・評価額を左右する主要な前提(採用した算定方法、割引率、将来の業績見通し、減額の項目と割合)を、冒頭の要約で一覧として示すこと
・前提を変えた場合に評価額がどの程度変わるかを、簡潔な形で示すこと
・評価を依頼した者と評価者の関係を、要約の段階で明示すること
・詳細な算定過程は、要約とは別に、検証を望む者が参照できる形で提供すること
情報を多く出すことと、判断に必要な情報を伝えることは同じではない。開示の量ではなく、開示の構造が、少数株主の保護の実効性を左右する。
次回は第5章を取り上げ、二人の出会いと最初の共同研究である「少数の法則」の研究から、専門家の統計的直感の誤りを検討する。
情報を出すことと、伝えることは違う。注意が有限である以上、開示は量ではなく構造で設計されなければならない。
※原著の記述に関する部分は、原著の目次、出版社による内容紹介、公開されている書評・要約などに基づく。
関連URL・参考資料
・マイケル・ルイス著、渡会圭子訳『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋、2017年7月)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906836
・SuperSummary「The Undoing Project: Chapter 4 Summary」
https://supersummary.com/the-undoing-project/chapter-4
・Daniel Kahneman, Jackson Beatty「Pupil diameter and load on memory」(Science、1966年)
・Daniel Kahneman『Attention and Effort』(Prentice-Hall、1973年)
・Daniel J. Simons, Christopher F. Chabris「Gorillas in our midst: Sustained inattentional blindness for dynamic events」(Perception、1999年)
・Christopher A. Sims「Implications of rational inattention」(Journal of Monetary Economics、2003年)
・Omri Ben-Shahar, Carl E. Schneider『More Than You Wanted to Know: The Failure of Mandated Disclosure』(Princeton University Press、2014年)