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価格はどこまで人間の選好を表すのか――アンカリングと「整合的な恣意性」の経済学

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私たちは、商品がいくらなら妥当なのかを、何を基準に判断しているのだろうか。

経済学では、商品の価格と購入される数量の関係を分析することで、人々が商品やサービスをどのように評価しているかを考える。一般に、価格が高くなれば購入する人は減り、価格が低くなれば購入する人は増える。この関係は、需要曲線として表される。

しかし、人々が価格の変化に対して一貫した判断をしていても、その商品の価値を最初から明確に判断できていたとは限らない。

2003年、Dan Ariely(ダン・アリエリー)、George Loewenstein(ジョージ・ローウェンスタイン)、Drazen Prelec(ドラゼン・プレレック)は、学術誌『The Quarterly Journal of Economics』に「Coherent Arbitrariness: Stable Demand Curves Without Stable Preferences」を発表した。

この研究で示されたのは、商品の評価額が商品とは無関係な数字に影響される一方、その後の評価には一定の一貫性が生じるという現象である。

著者らは、この現象を「Coherent Arbitrariness(整合的な恣意性・せいごうてきなしいせい)」と呼んだ。これは、最初の価格判断が商品とは無関係な数字に左右されても、その金額を基準にすることで、その後の価格判断には一定の一貫性が生まれるという意味である。

この研究が問い直したのは、人間が価格判断で誤りを犯すという問題だけではない。市場で観察される一貫した価格や需要の関係から、人々の安定した選好をどこまで読み取れるのかという、経済学の基本的な問題である。

最初に示された数字は価格判断を変えるのか

Arielyらは、最初に示された数字が商品の評価額に与える影響を、6つの実験を通じて検討した。

その一つでは、55人の経営学修士課程の学生が参加し、ワインやチョコレート、コンピューター用品など6種類の商品について、支払ってもよいと考える金額を回答した。

参加者は、まず自分の米国社会保障番号の末尾2桁を確認し、その数字と同じドル金額で商品を購入する意思があるかを尋ねられた。

例えば、末尾が「40」であれば、その商品を40ドルで購入したいかどうかを考える。その後、実際に支払ってもよい最高金額を回答した。

社会保障番号は個人を識別するためのものであり、商品の品質や価値とは関係がない。

それにもかかわらず、実験では、番号の末尾が大きい参加者ほど、商品に高い金額を付ける傾向が見られた。

ワイヤレスキーボードに対する平均購入希望額は、番号の末尾が下位20%の参加者では16.09ドルだった。一方、上位20%では55.64ドルだった。

同じ商品を評価しているにもかかわらず、価値とは無関係な数字によって購入希望額に差が生じたのである。

この結果は、価格判断が本人の好みや商品の品質だけで決まるとは限らず、最初に示された数字に影響される場合があることを示している。

ただし、この実験で観察された購入希望額は、商品の客観的な市場価値そのものではない。また、この結果から、すべての価格判断が同じ程度に恣意的であると結論付けることもできない。

なぜ価格判断には一貫性が生じるのか

Arielyらの研究で重要なのは、最初の数字によって評価額が変化したという結果だけではない。

参加者は、商品間の違いに応じて、評価額を一貫して変化させていた。

例えば、品質の高いワインを、品質の低いワインより高く評価する傾向が見られた。

つまり、参加者は商品をまったく区別できなかったわけではない。商品間の品質差や魅力の違いを認識し、それに応じて価格を付けることはできていた。

しかし、価格を具体的にいくらにするかという水準は、最初の数字に影響されていた。

ここには、二つの異なる問題が存在する。

一つは、どの商品を相対的に高く評価するかという問題である。

もう一つは、その商品に具体的にいくら支払ってもよいと考えるかという問題である。

Arielyらの実験では、前者には一定の一貫性が見られた一方、後者には恣意的な数字の影響が残った。

著者らが「整合的な恣意性」と呼んだのは、この組み合わせである。

人は、いったん価格の基準を持つと、その後の商品評価を、その基準との関係で一貫して行う場合がある。

その結果、複数の商品に付けられた価格が整然としていても、最初の金額が安定した選好から導かれたとは限らない。

需要曲線が安定していても、選好が安定しているとは限らない

標準的な消費者理論では、商品に対する人々の選好を出発点として、価格と需要量の関係を分析する。

例えば、ある商品について価格が高くなると購入量が減り、価格が低くなると購入量が増えるという関係が観察されたとする。

この関係は、消費者が価格の違いに対して一貫して反応していることを示している。

しかし、Arielyらの研究は、このような一貫性だけでは、評価額の水準が安定した選好に基づいていると判断できないことを示唆した。

最初の価格判断が恣意的な数字によって変化しても、その後の判断がその数字を基準として形成されれば、価格と需要の関係には一定の秩序が生じ得るからである。

重要なのは、需要曲線が存在しないという結論ではない。

観察された需要曲線から消費者の価値判断を解釈する際に、その判断がどのように形成されたのかを考慮する必要があるということである。

著者らは、需要曲線の形が安定しているように見えても、それが規範的な意味で真の消費者選好を表しているとは限らないと論じた。

ただし、この研究だけで、現実のあらゆる市場の需要曲線が不安定な選好によって形成されていると証明されたわけではない。

研究の意義は、一貫した価格反応を確認することと、その背景に安定した価値判断が存在することを確認することは、別の問題だと示した点にある。

アンカリングは単なる情報の利用なのか

最初に示された価格がその後の判断に影響すること自体は、必ずしも不合理とは限らない。

例えば、商品の市場価格や過去の取引価格が示されれば、その数字を参考に評価することには合理的な理由がある場合もある。

価格に関する情報を持たない人が、参考になる数字を用いて判断することは自然な行動である。

しかし、Arielyらの実験で用いられた社会保障番号の末尾には、商品の価値を判断するための情報が含まれていなかった。

そのため、この実験で確認された価格判断の変化を、価値に関する新しい情報への合理的な反応として説明することは難しい。

また、研究では、商品を経験することによってアンカリングの影響が必ずしも小さくならないことや、市場での取引に近い条件が存在しても、その影響が必ず解消されるとは限らないことが示された。

さらに、こうした現象は商品の購入価格だけに限られず、金銭以外の評価にも見られる場合があった。

これらの結果は、価格判断の恣意性が、単に商品の情報不足だけから生じるものではない可能性を示している。

ただし、専門知識や経験がアンカリングの影響を一切減らさないと結論付けることもできない。

人が評価対象について持つ知識や、最初の数字がどのような意味を持つかによって、その影響は異なり得る。

アンカリング研究はどのように発展してきたのか

アンカリングは、Arielyらが2003年に初めて発見した現象ではない。

1974年、Amos Tversky(エイモス・トベルスキー)とDaniel Kahneman(ダニエル・カーネマン)は、学術誌『Science』に「Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases」を発表した。

この研究では、人が不確実な状況で判断するときに用いる心理的な手掛かりが整理され、その一つとしてアンカリングと調整が取り上げられた。

人は、最初に与えられた数字を出発点として判断を調整する場合がある。しかし、その調整が十分でなければ、最初の数字の影響が残る可能性がある。

Arielyらの研究は、このアンカリングの問題を、商品の価格評価と需要の関係へ広げた点に特徴がある。

単に数字の推定が最初の情報に引きずられるというだけでなく、その影響を受けた評価額からも、商品間の一貫した価格関係が形成され得ることを実験で示した。

これにより、アンカリングは判断の誤差を説明する問題にとどまらず、経済学が価格や需要曲線から何を読み取れるのかという問題へとつながった。

実際の企業買収でも参照価格は使われるのか

アンカリングや参照価格の影響は、実験室での商品評価だけでなく、企業買収についても研究されている。

2012年、Malcolm Baker(マルコム・ベーカー)、Xin Pan(シン・パン)、Jeffrey Wurgler(ジェフリー・ワーグラー)は、学術誌『Journal of Financial Economics』に「The Effect of Reference Point Prices on Mergers and Acquisitions」を発表した。

この研究では、企業買収の提示価格と、買収対象企業の過去の株価との関係を分析した。

著者らが重視したのは、過去52週間の株価最高値である。

研究では、買収提示価格が過去の株価最高値に引き寄せられる傾向が確認された。

また、提示価格が52週間の最高値をわずかに上回る場合、買収提案が受け入れられる確率が不連続に上昇するという結果も報告された。

論文では、他の条件を考慮した分析で、この上昇幅が4.4〜6.4パーセントポイント程度と推定されている。

さらに、買収対象企業の過去の高値を基準として提示価格が引き上げられる場合、買収側企業の株価に対する市場反応がより否定的になる傾向も確認された。

この研究が重要なのは、過去の株価最高値が、必ずしも企業の現在の経済的価値を直接示していないにもかかわらず、実際の買収取引に関係していることを示した点である。

ただし、この研究は市場株価を持つ買収対象企業を分析したものであり、非上場企業の取引について同じ結果が生じると証明したものではない。

また、統計的な関係が確認されたことだけで、個別の買収価格が不当だったと結論付けることもできない。

価格の基準は市場の結果まで変えるのか

Bakerらの研究は、参照価格が単に人の評価額に影響するだけでなく、取引が成立するかどうかにも関係する可能性を示している。

買収対象企業の過去52週間の最高値は、過去の市場取引から形成された数字である。

そのため、社会保障番号の末尾のように、企業とまったく無関係な数字ではない。

しかし、過去の最高値が現在の企業価値を正確に表しているとも限らない。

それでも、買収交渉の当事者がその数字を重要な基準として使うなら、提示価格や取引の受け入れに影響する可能性がある。

ここで重要なのは、価格の基準が個人の判断にとどまらず、実際の経済取引の成立に関係し得ることである。

ただし、過去の最高値が市場全体の企業買収をどの程度変化させるかについては、慎重な解釈が必要である。Bakerらも、市場全体で買収が集中する現象との関係については、他の分析より暫定的な証拠として位置付けている。

したがって、この研究をもって、企業買収の成立が過去の株価によって決まると考えることは適切ではない。

企業買収には、事業上の相乗効果、資金調達条件、経営権、交渉力など、多くの要因が関係するためである。

それでも、合理的な経済条件だけでは説明し尽くせない参照価格の影響が、現実の企業買収にも観察されることは重要な発見である。

価格判断の一貫性をどう評価するべきか

価格についての判断が一貫していることは、通常、その判断に一定の根拠があるように見える。

例えば、ある人が高品質の商品には高い価格を、低品質の商品には低い価格を付けていれば、その評価は合理的に見えるかもしれない。

しかし、Arielyらの研究は、商品間の相対的な評価が一貫していても、価格水準そのものが恣意的な数字に影響されている場合があることを示した。

また、Bakerらの企業買収研究では、過去の株価最高値が提示価格や取引成立に関係することが確認された。

これらの研究が共通して示唆するのは、価格がどのような過程で形成されたのかを考える必要性である。

ただし、二つの研究は対象も方法も異なる。

Arielyらは実験によって恣意的な数字の影響を検証した。一方、Bakerらは現実の企業買収データから参照価格との関係を分析した。

そのため、両者の結果を同じ因果効果として扱うことはできない。

一方で、価格判断が最初の基準に影響され得るという問題を、実験と実際の市場取引という異なる方法から考えることができる。

価格と価値の関係を問い直す

Ariely、Loewenstein、Prelecの2003年の研究は、価格判断の一貫性が、必ずしも安定した選好の存在を意味しないことを示した。

その後の企業買収研究では、過去の株価最高値が、実際の提示価格や取引の受け入れに関係することも確認された。

ただし、これらの研究から、市場価格や需要曲線が無意味だと結論付けることはできない。

価格や需要は、現実の経済活動を分析するための重要な情報である。しかし、そこから人間の選好や資産の価値を読み取る際には、価格がどのような情報や基準に影響されて形成されたのかを考慮する必要がある。

最初に示された数字が価格判断を変え、その影響を受けた評価額からも、一貫した需要関係が生まれることがある。

価格判断が一貫していることと、その価格水準が安定した選好や経済的価値を正確に表していることは、同じではない。

整合的な恣意性の研究は、価格や需要曲線の背後にある人間の判断が、どのように形成されるのかを問い直した。

それは、人がなぜ数字に影響されるのかという心理学の問題にとどまらず、市場で観察される価格から経済学が何を説明できるのかという、より根本的な問いにつながっている。

参考資料・関連研究

1.Dan Ariely・George Loewenstein・Drazen Prelec(2003年)

"Coherent Arbitrariness: Stable Demand Curves Without Stable Preferences," The Quarterly Journal of Economics, Vol. 118, No. 1, pp. 73–106.

オックスフォード大学出版局・公式論文ページ

2.Dan Ariely・George Loewenstein・Drazen Prelec(2003年)

同論文の原著全文PDF

MIT・著者公開資料

3.Amos Tversky・Daniel Kahneman(1974年)

"Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases," Science, Vol. 185, No. 4157, pp. 1124–1131.

Science・公式論文ページ

4.Malcolm Baker・Xin Pan・Jeffrey Wurgler(2012年)

"The Effect of Reference Point Prices on Mergers and Acquisitions," Journal of Financial Economics, Vol. 106, No. 1, pp. 49–71.

Elsevier・公式論文ページ

5.Malcolm Baker・Xin Pan・Jeffrey Wurgler(2012年)

同論文の全文PDF

ニューヨーク大学スターン経営大学院・著者公開資料