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【山中裕の経済学サロン】信号はどこへ流れるのか――扁桃体の三つの出口と、ひとつながりの物語

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ここまで扁桃体基底外側核の細胞の種類、遺伝子地図、恐怖と報酬の細胞を見てきました。最終回は、これらの信号が実際にどこへ送られ、何を動かすのかをまとめます

皆さん、こんにちは。このシリーズでは、扁桃体基底外側核(BLA)の主細胞と抑制細胞の役割分担、遺伝子発現による地図、Rspo2陽性の回避細胞、そして報酬側の細胞群と見てきました。今回はいよいよ最終回として、これらの細胞が実際にどこへ信号を送り出し、それが損失回避というテーマへとどうつながっていくのかを、ひとつの流れとして描いてみたいと思います。

出口は一つではない

BLAの主細胞は、単一の場所に向かって信号を送っているわけではありません。大きく分けて三つの出口があります。側坐核(NAc)へ向かう経路、中心核(CeA)へ向かう経路、そして前頭前野・腹側海馬へ向かう経路です。同じ「恐怖」や「報酬」という評価であっても、どの出口を通るかによって、最終的に引き起こされる行動や心理的な効果はまったく異なります。この三つを順に見ていきます。

出口その一――側坐核、価値の値付けへ

一つ目の出口は側坐核です。Shenらによる2023年の研究では、BLAから側坐核の外殻部(シェル)への投射が、D1受容体を発現する下流の細胞に依存的であり、しかも特定の手がかり刺激に選択的に反応する細胞集団によって担われていることが示されています。この研究が興味深いのは、投射している細胞の遺伝子構成そのものを調べている点です。NAcシェルへ投射するBLA細胞のおよそ7割はPpp1r1b陽性、残る3割ほどはRspo2陽性で構成されているとされ、つまりこの経路は報酬系の細胞が主役でありながら、恐怖系の細胞も一定の割合で合流する、混成の経路だということが分かります。

この経路が担っているのは、いわば「この刺激にはどれだけの価値があるか」という値付けの機能です。前々回お話しした報酬細胞の話とも重なりますが、恐怖と報酬という一見対照的な評価が、最終的には同じ側坐核という場所で、一つの価値の物差しに変換されて合流していく、という描像です。

出口その二――中心核、行動の引き金へ

二つ目の出口は中心核です。以前このシリーズで、中心核には線条体に似た構造――直接路と間接路の対比があるという話をしました。Kimらによる2017年の『Neuron』誌の研究は、この対比をより詳しく描いています。BLAからの入力を受け取った中心核の細胞は、大脳基底核における直接路・間接路のように、それぞれ異なる下流構造へ投射し、片方が行動の表出を促進し、もう片方がそれを抑制するという形で、拮抗しながら最終的な行動――すくみ行動や逃避行動――を作り出しています。

中心核はBLAの中でも「最終出口」に最も近い場所です。前回・前々回にご紹介したRspo2陽性細胞のCeCへの投射も、この経路の一部です。ここでの綱引きの勝敗が、動物が実際に凍りつくか、逃げるか、あるいは何もしないかという、目に見える行動を直接左右します。

出口その三――前頭前野と海馬、文脈と意味づけへ

三つ目の出口は前頭前野と腹側海馬です。前々回ご紹介したとおり、BLAから内側前頭前野への投射は、前部のRspo2系の細胞が主に前辺縁皮質(PL、恐怖の表出を後押しする側)へ、後部のPpp1r1b系の細胞が主に下辺縁皮質(IL、恐怖の消去を後押しする側)へと向かう、という大まかな対応があります。これは、以前このシリーズで詳しくご紹介した「前頭前野による損失回避の書き換え」の回路と、まさに表裏の関係にあります。前頭前野がBLAへトップダウンで再評価の信号を送るのと同時に、BLA自身も前頭前野へボトムアップで一次情報を送っており、両者は一方通行ではなく、双方向のループを形成しているのです。

もう一つの出口である腹側海馬への投射は、不安に関連しているとされています。恐怖条件づけのように「特定の刺激」に紐づいた反応ではなく、「この場所は危険かもしれない」というような、より文脈的で持続的な警戒状態の形成に関わっていると考えられています。単発の恐怖と、慢性的な不安とが、少なくとも部分的には異なる出口を使って作られている、ということです。

三つの出口を、ひとつの流れとして読み直す

ここまでの話を、恐怖条件づけが成立する一瞬から、時間を追って描き直してみます。

まず、脅威になりうる刺激が入力されると、以前ご紹介した局所回路――VIP細胞による脱抑制の窓、PVバスケット細胞やSST細胞による選別――を経て、Rspo2陽性細胞を中心とする主細胞の集団が活動を強めます。この活動は同時に三方向へ送り出されます。中心核へは「いますぐ凍りつけ」という行動の引き金として、側坐核へは「この刺激は負の価値を持つ」という値付けの情報として、そして前頭前野・海馬へは「この文脈は危険であり、警戒を持続せよ」という意味づけの情報として届きます。

この全体のゲインを底上げしているのが、ノルアドレナリンです。以前ご紹介したとおり、ノルアドレナリンはBLAの主細胞だけでなく、PV型、SST型、VIP型といった抑制細胞のすべてに作用し、回路全体の「脅威に対する感度」を引き上げます。プロプラノロールがこの感度を選択的に下げると、三つの出口すべてへ送られる信号の強さが弱まり、結果として損失回避の係数λが下がる、という一連のつながりが見えてきます。

一方、消去学習や再評価が進むと、前頭前野からBLAへのトップダウンの経路が働き、Rspo2陽性細胞の活動を抑え、前回ご紹介したとおり、本来報酬系だったPpp1r1b陽性細胞の集団が新しい記憶の担い手として動員されます。境界にあるITC(介在細胞島)の働きも強まり、BLAから中心核へ向かう出口そのものが絞られます。同じ刺激に対する三つの出口への信号が、全体としてトーンダウンしていくのです。

このシリーズ全体を振り返って

第5回でご紹介した神経科学的な損失回避の三層構造――価値計算そのものの非対称、扁桃体・島皮質による罰信号、前頭前野による統合――は、今回までの八回を通じて、細胞レベル・回路レベルで裏打ちされる形になりました。扁桃体という一つの構造の中に、大きな主細胞の集団と、性質の異なる複数の抑制細胞、そして遺伝子発現によって緩やかに分かれる負と正の価の細胞群があり、それらが三つの出口を通じて、値付け・行動の引き金・文脈的な意味づけという、異なる役割を同時に果たしている。損失回避とは、この複雑な回路が生み出す、一つの創発的な現象だということです。

ガバナンスへの示唆

このシリーズを通じて私が繰り返しお伝えしたかったのは、脳の中の「警戒システム」が、単一の中枢ではなく、複数の細胞集団・複数の出口が織りなすネットワークだということです。値付けを行う経路、行動の引き金を引く経路、文脈を意味づける経路――これらが分かれているからこそ、一部の経路が暴走しても、他の経路がそれを押しとどめる余地が生まれます。

企業のガバナンスも同じではないでしょうか。リスクを検知する仕組み、実際に行動を止める権限を持つ仕組み、そして中長期の文脈でその判断を意味づけ直す仕組み――これらが一つの人物や一つの部署に集約されてしまうと、脳でいえば扁桃体が前頭前野の助けを借りずに単独で行動を決めてしまうのと同じ状態になります。社外取締役、監査役、株主、司法、そして経営陣自身の再評価。これらがそれぞれ異なる出口として機能し、互いに抑制し合い、ときに補い合う。そうした構造こそが、企業を一時の脅威の感覚に振り回されない、しなやかな意思決定へと導くのだと、私はこのシリーズを通じて改めて感じています。長期にわたりお付き合いいただき、ありがとうございました。


参考文献

  • Kim, J., Zhang, X., Muralidhar, S., LeBlanc, S. A., & Tonegawa, S. (2017). Basolateral to central amygdala neural circuits for appetitive behaviors. Neuron, 93(6), 1464-1479.

  • Shen, C. J., et al. (2023). Gene-specific composition of basolateral amygdala projections to the nucleus accumbens. (BLA-NAc shell projection studies).

  • Kim, J., Pignatelli, M., Xu, S., Itohara, S., & Tonegawa, S. (2016). Antagonistic negative and positive neurons of the basolateral amygdala. Nature Neuroscience, 19(12), 1636-1646.

  • Sokol-Hessner, P., & Rutledge, R. B. (2019). The psychological and neural basis of loss aversion. Current Directions in Psychological Science, 28(1), 20-27.

  • マイケル・ルイス『後悔の経済学』渡会圭子訳、文春文庫